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石高から軍役算出
軍役から石高算出
城 郭 史
若江城(河内国)
わかえじょう
築 城 年
-
築 城 者
-
改 築 年
-
改 築 者
-
廃 城 年
-
別 称
-
現 所 在 地
〒578-0945
大阪府東大阪市若江北町3丁目3
史 料 地 名
-
参 考 文 献
-
関 連 デ ー タ
-
リ ン ク
三好義継
若江城(河内国) 年表
応永13年 1406年 1月17日
畠山基国
が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第98「清和源氏 義家流 足利支流 畠山」「畠山基国」の項
天文20年 1551年 5月5日
遊佐長教
が
若江城
(河内国)城内にて珠阿弥に暗殺される。
出典:-
永禄7年 1564年 8月11日
山科言継
が若江荘(河内国)一宮の遷宮法楽猿楽見物のため、辰刻(7-9時)に大坂を出立する。辰下剋(8時)、上洛のため若江荘を発つ。枚方(河内国)にて昼休憩をし、
山崎
(山城国)にて酒を飲む。申下刻(16時)に帰宅する。
出典:『言継卿記』同年月日条
元亀2年 1571年 9月22日
竹内秀勝が若江(河内国)にて死去する。
出典:『多聞院日記』同年月24日条
元亀4年 1573年 7月20日
足利義昭
が
三好義継
のいる若江(河内国)へ移る。
出典:『兼見卿記』同年月日条
天正1年 1573年 11月-日
織田信長
の命をうけた
佐久間信盛
が
三好義継
の籠る
若江城
(河内国)を攻める。
織田信長勢:佐久間信盛[大将]、
松井康之
。
三好義継勢:三好義継[大将]、金山武春、多羅尾右近、池田教正、野間佐吉、那須久右衛門、岡飛騨守、江川。
出典:『信長公記』巻6(18)(「三好左京大夫謀反の事」)、『綿考輯録』巻2
天正1年 1573年 11月-日
佐久間信盛
が
三好義継
の籠る
若江城
(河内国)を攻める。
織田信長勢:佐久間信盛[大将]、
松井康之
。
三好義継勢:三好義継[大将]、金山武春、多羅尾右近、池田教正、野間佐吉、那須久右衛門、岡飛騨守、江川
義継家臣の多羅尾右近・池田教正・野間佐吉が信盛に内通し、金山武春を殺害して、
若江城
(河内国)城内に織田勢を引き入れる。
出典:『信長公記』巻6(18)(「三好左京大夫謀反の事」)
天正1年 1573年 11月16日
若江城
(河内国)にて
三好義継
が自害する。那須久右衛門、岡飛騨守、江川が殉死する。
出典:『信長公記』巻6(18)(「三好左京大夫謀反の事」)
天正3年 1575年 4月7日
織田信長
が若江(河内国)に陣取る。
出典:『信長公記』巻8(3)「河内国新堀城攻め干され並に誉田城破却の事」
天正4年 1576年 5月5日
辰刻(7-9時)、
織田信長
が
大坂本願寺
に向けて2000の軍勢を引き連れ出陣する。午刻(11-13時)、八幡を通る。先陣の
佐久間信盛
が若江城(河内国)に攻め入る。
筒井順慶
は信長の大坂本願寺攻めにつき、奈良中の15-60歳の男性を総動員するため
一乗院尊政
、
大乗院尋憲
に許可を得るべく飯田出羽入道・松田を遣わす。
出典:『兼見卿記』同年月日条、『言継卿記』同年月日条、『多聞院日記』同年月日条、『言経卿記』同年月日条
天正4年 1576年 5月6日
織田信長
が若井(若江)(河内国)に在城する。
奈良(大和国)にて
筒井順慶
および
松永久通
の無事が伝わる。
出典:『兼見卿記』同年月日条
天正4年 1576年 5月7日
早朝より
織田信長
が総勢で住吉口より出陣する。先陣は
佐久間信盛
、
松永久秀
、
細川藤孝
、若江衆、二陣は
滝川一益
、
蜂屋頼隆
、
羽柴秀吉
、
丹羽長秀
、
稲葉一鉄
、
氏家直昌
、
安藤守就
、三陣は馬廻衆。午刻(11-13時)に
天王寺
に入り、
大坂本願寺
に籠る一向一揆勢と合戦。2000余を討つ勝利を収めたという。信長はこの戦いで足に鉄砲があたり負傷する。戦後、天王寺砦に
佐久間信盛
、
佐久間信栄
、進藤山城守、松永久秀、
松永久通
、水野監物、池田孫次郎、山岡孫太郎、青地千代寿を置く。また、住吉浜に要害を築き、真鍋貞友、沼野伝内を置く。
出典:『兼見卿記』同年月日条、『言継卿記』同年月日条、『多聞院日記』同年月日条、『信長公記』巻9(4)「後後巻再三御合戦の事」
天正5年 1577年 2月15日
織田信長
が和泉国に入る。(『多』)
石清水八幡宮を発ち若江(河内国)に陣取る。(『信』)
出典:『信長公記』巻10(1)「雑賀御陣の事」
天正5年 1577年 3月23日
織田信長
が若江(河内国)に帰陣する。
天王寺屋龍雲が所持する化狄、
今井宗久
所持の二銘の茶杓を召し上げ、宗久所持の開山之蓋置を進上させる。
出典:『信長公記』巻10(3)「御名物被召置の事」
天正6年 1578年 9月28日
織田信長
が八幡を発ち若江(河内国)に到着する。
出典:『信長公記』巻11(11)「大船堺津にて御見物の事」
天正10年 1582年 10月25日
根来寺
衆の泉南侵攻にともない、羽柴勢の先勢として
浅野長政
、
中村一氏
、伊藤掃部、
筒井順慶
、若江三人衆、
三好信吉
、
三好康長
が泉南に出陣する。
出典:天正10年10月22日付羽柴秀吉書状(『浅野家文書』9号)
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