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事項 |
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- | - | - | - | - | 尋憲が生まれる。 | - |
天正4年 | 1576 | 5 | 5 | - | 辰刻(7-9時)、織田信長が大坂本願寺に向けて2000の軍勢を引き連れ出陣する。午刻(11-13時)、八幡を通る。先陣の佐久間信盛が若江城(河内国)に攻め入る。 筒井順慶は信長の大坂本願寺攻めにつき、奈良中の15-60歳の男性を総動員するため一乗院尊政、大乗院尋憲に許可を得るべく飯田出羽入道・松田を遣わす。 | 『兼見卿記』同年月日条、『言継卿記』同年月日条、『多聞院日記』同年月日条、『言経卿記』同年月日条 |
天正4年 | 1576 | 5 | 6 | - | 織田信長が若井(若江)(河内国)に在城する。 奈良(大和国)にて筒井順慶および松永久通の無事が伝わる。 | 『兼見卿記』同年月日条 |
天正4年 | 1576 | 5 | 7 | - | 早朝より織田信長が総勢で住吉口より出陣する。先陣は佐久間信盛、松永久秀、細川藤孝、若江衆、二陣は滝川一益、蜂屋頼隆、羽柴秀吉、丹羽長秀、稲葉一鉄、氏家直昌、安藤守就、三陣は馬廻衆。午刻(11-13時)に天王寺に入り、大坂本願寺に籠る一向一揆勢と合戦。2000余を討つ勝利を収めたという。信長はこの戦いで足に鉄砲があたり負傷する。戦後、天王寺砦に佐久間信盛、佐久間信栄、進藤山城守、松永久秀、松永久通、水野監物、池田孫次郎、山岡孫太郎、青地千代寿を置く。また、住吉浜に要害を築き、真鍋貞友、沼野伝内を置く。 | 『兼見卿記』同年月日条、『言継卿記』同年月日条、『多聞院日記』同年月日条、『信長公記』巻9(4)「後後巻再三御合戦の事」 |
天正4年 | 1576 | 5 | 8 | - | 織田信長と本願寺顕如の大坂本願寺周辺での戦闘についての報告が京都にもたらされる。その報告には、信長が大坂西木津の城を落とし、一揆勢10000人を討ち取ったという。また、信長が「大坂之城」(大坂本願寺)を攻め、「大坂之左右之大将」と言われる下間頼廉・雑賀孫市を討ち取ったという。(この報については誤報) | 『言継卿記』同年月日条 |
天正4年 | 1576 | 5 | 16 | - | 大乗院尋憲が大坂本願寺攻めのため河内国に滞在中の織田信長のもとへ見舞いに訪れる。 | 『多聞院日記』同年月20日条 |
天正4年 | 1576 | 5 | 18 | - | 大乗院尋憲が興福寺大乗院に帰寺する。 | 『多聞院日記』同年月20日条 |
天正4年 | 1576 | 6 | 5 | - | 大乗院尋憲が寺務再任を京都に帰陣した織田信長に訴えるため上洛する。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正4年 | 1576 | 6 | 6 | - | 織田信長が、石清水八幡宮より槙島(山城国)を経て、未刻(13-15時)に妙覚寺に入る。二条晴良・昭実父子、近衛前久・信基父子、飛鳥井雅敦、勧修寺晴豊、烏丸光康・光宣父子、山科言継・言経父子、持明院基孝、中山孝親、庭田重保、葉室頼房、広橋兼勝、冷泉為純、薄以継、大乗院尋憲、一乗院尊政、大覚寺尊信、聖護院道澄が訪れ、対面する。 | 『言継卿記』同年月日条、『兼見卿記』同年月日条、『言経卿記』同年月日条 |
天正4年 | 1576 | 6 | 8 | - | 大乗院尋憲が寺務再任を織田信長に訴え、大乗院に再任されることが決まる。 | 『多聞院日記』同年月10日条 |
天正4年 | 1576 | 6 | 28 | - | 大乗院尋憲が織田信長のもとへ礼に赴くため安土城(近江国)に向けて出発する。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正4年 | 1576 | 7 | 5 | - | 大乗院尋憲が奈良(大和国)に下向する。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正4年 | 1576 | 11 | 6 | - | 大乗院尋憲が上洛する。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正5年 | 1577 | 2 | 8 | - | 大乗院尋憲が上洛する。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正5年 | 1577 | 4 | 8 | - | 大乗院尋憲が筒井順慶に音信として綿16把、マヲ10把を贈る。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正5年 | 1577 | 閏7 | 6 | - | 大乗院尋憲が上洛する。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正6年 | 1578 | 1 | 24 | - | 早朝、大乗院尋憲が宿泊地の一条の辻から二尊院に赴く。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正6年 | 1578 | 3 | 27 | - | 大乗院尋憲が在洛中の織田信長に礼をするため上洛する。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正6年 | 1578 | 4 | 25 | - | 大乗院尋憲が京都より奈良(大和国)に戻る。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正7年 | 1579 | 6 | 2 | - | 4日に行われる二条晴良の35日の御焼香に参列するため大乗院尋憲が上洛する。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正7年 | 1579 | 11 | 10 | - | 大乗院尋憲が上洛する。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正8年 | 1580 | 閏3 | 29 | - | 大乗院尋憲が善七郎を宇治(山城国)に遣わし茶を詰めさせる。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正8年 | 1580 | 9 | 26 | - | 織田信長が大和国の寺社・本所・諸寺・諸山・国衆に対し所領の指出を命じる。指出にあたっては起請文形式で滝川一益、明智光秀宛で提出するように命じる。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正8年 | 1580 | 10 | 22 | - | 大和国の寺社・本所・諸寺・諸山・国衆の織田信長への所領の指出の結果、興福寺領は19000石、大乗院領は750石、一乗院の寺領は1300石、東大寺領は1500石、多武峰領は8000石、法隆寺領は300石、薬師寺領は2000石とされる。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正9年 | 1581 | 1 | 13 | - | 大乗院尋憲が上洛する。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正9年 | 1581 | 4 | 4 | - | 大乗院尋憲が京都より大乗院に戻る。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正9年 | 1581 | 10 | 3 | - | 大乗院尋憲が織田信長への見舞いのため上洛する。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正9年 | 1581 | 10 | 5 | - | 大乗院尋憲が安土城(近江国)にいる織田信長のもとに見舞いに訪れる。 | 『多聞院日記』同年月8日条 |
天正9年 | 1581 | 10 | 8 | - | 大乗院尋憲が醍醐(山城国)に宿泊する。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正9年 | 1581 | 10 | 9 | - | 大乗院尋憲が大乗院に帰寺する。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正9年 | 1581 | 11 | 8 | - | 大乗院尋憲が大乗院にて三蔵会を執行する。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正9年 | 1581 | 12 | 7 | - | 大乗院領の大和国畑荘の還付および、同領の守護不入を認める朱印状を織田信長が大乗院尋憲に発給する。 | 『多聞院日記』同年月10日条 |
天正9年 | 1581 | 12 | 20 | - | 織田信長が大乗院尋憲に炭10荷を贈ってくれたことへの礼状(18日付)を発給し、この日、尋憲のもとに届く。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正10年 | 1582 | 1 | 13 | - | 大乗院尋憲が織田信長のもとへ礼に赴くべく安土城(近江国)に向けて奈良を出立する。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正10年 | 1582 | 1 | 18 | - | 大乗院尋憲が奈良(大和国)に帰る。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正10年 | 1582 | 1 | 23 | - | 大乗院尋憲が大乗院において信読経を行う。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正10年 | 1582 | 1 | 24 | - | 大乗院尋憲が春日社に参籠する。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正10年 | 1582 | 1 | 25 | - | 大乗院尋憲が大乗院にて毎月講を始める。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正10年 | 1582 | 2 | 26 | - | 信濃国に向けて出陣する織田信長を見舞うため、大乗院尋憲が安土城(近江国)に向けて出発する。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正10年 | 1582 | 5 | 23 | - | 大乗院尋憲が安土城(近江国)より奈良(大和国)に帰寺する。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正10年 | 1582 | 5 | 25 | - | 大乗院尋憲が恒例の大般若経転読を行う。今夜よりいつものごとく船戸屋に参籠する。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正10年 | 1582 | 6 | 15 | - | 大乗院尋憲が上洛する。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正10年 | 1582 | 7 | 20 | - | 大乗院尋憲が大乗院にて三蔵会を行う。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正11年 | 1583 | 1 | 12 | - | 筒井順慶が大乗院尋憲のもとへ礼に赴く。5荷3種、杉原5束、綿5把を進上する。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正11年 | 1583 | 3 | 20 | - | 大乗院尋憲が筒井順慶に音信を遣わす。巻数を贈る。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正11年 | 1583 | 4 | 15 | - | 大乗院尋憲の百日参籠が結願する。 | 『多聞院日記』同年5月21日条 |
天正11年 | 1583 | 5 | 24 | - | 大乗院尋憲が羽柴秀吉を見舞うため上洛する。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正11年 | 1583 | 5 | 26 | - | 大乗院尋憲から多聞院英俊への書状に、羽柴秀吉のいる坂本城(近江国)に、礼に訪れる諸国の大小名の数が多いと記される。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正11年 | 1583 | 7 | 11 | - | 前大乗院門跡の尋円が死去する。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正11年 | 1583 | 10 | 10 | - | 大乗院尋憲が大坂城(摂津国)にいる羽柴秀吉のもとへ見舞いに赴く。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正12年 | 1584 | 2 | 20 | - | 大乗院尋憲が白毫寺へ花見に赴く。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正12年 | 1584 | 2 | 25 | - | 大乗院尋憲が大乗院にて花見を催す。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正13年 | 1585 | 閏8 | 26 | - | 羽柴秀吉が施薬院全宗のもとで茶湯を催す。全宗の所に近衛龍山、大覚寺尊信、大乗院尋憲、一条内基、梶井宮最胤、飛鳥井雅春、日野輝資、烏丸光宣、吉田兼見が参礼として訪れる。龍山等が秀吉に進上した菓子を前田玄以が披露する。 | 『兼見卿記』同年月日条 |
- | - | - | - | - | 大乗院尋憲が死去する。 | - |