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総年表


天文19年 1550年 1月1日
細川晴元伊勢貞孝が幕府に出仕する。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文19年 1550年 1月4日
蜷川親俊が野洲井光助に20疋、扇を贈る。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文19年 1550年 1月5日
伊勢貞孝が歯固めの儀式に参加し、御服を賜る。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文19年 1550年 1月7日
伊勢貞孝が吉書につき幕府の使者として細川晴元のもとに赴く。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文19年 1550年 1月11日
三好長慶が富松城(摂津国)に入城し、伊丹城(摂津国)の総攻めのため軍勢を催促する。
出典:『足利季世記』巻4「伊丹大和守心替ノ事」

天文19年 1550年 1月14日
誓願寺西堂が扇を蜷川親俊に贈る。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文19年 1550年 1月15日
足利義晴が病を患う。義晴は病の身ながら四過時分、山科言継と高倉父子と対面する。
出典:『言継卿記』同年月3日条

天文19年 1550年 2月10日
田口鑑親・津久見美作守が居館にいた大友義鑑を襲撃し、大友塩市丸が死去する。義鑑は重傷を負う。
出典:-

天文19年 1550年 2月12日
山科言継小山新四郎より薬6色を100文で購入する。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文19年 1550年 2月12日
大友義鑑が死去する。
出典:-

天文19年 1550年 2月15日
慈照寺の山上に足利義晴が城の普請を始める。
出典:『厳助往年記』同年月日条

天文19年 1550年 2月16日
足利義晴が勝軍地蔵城(山城国)の普請を始める。中尾城の普請を再開する。
出典:『足利季世記』巻4「伊丹大和守心替ノ事」、『萬松院殿穴太記』

天文19年 1550年 2月22日
山科言継今村慶満の率分関違乱を三好長慶三好長逸・狩野信濃守に訴える書状を送る。また長慶には勅筆詩歌3枚を、長逸には勅筆詩歌2枚を贈る。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文19年 1550年 3月7日
今村慶満、小泉氏が四条に野伏せりをしかけてきた細川晴元足軽と戦う。
出典:『厳助大僧正記』同年月日条

天文19年 1550年 3月13日
細川晴元が足軽を四条に送り野伏せりをしかける。また、晴元は軍勢を西院に遣わし焼き討ちにする。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文19年 1550年 3月27日
足利義晴は東山御城に移る予定であったが、細川晴元が同意せず、移動は取り止めとなる。
出典:『厳助往年記』同年月日条

天文19年 1550年 3月28日
本興寺(尼崎(摂津国))にて三好長慶伊丹親興が会見し和睦する。
出典:『足利季世記』巻4「伊丹大和守心替ノ事」

天文19年 1550年 3月29日
三好長慶伊丹親興の籠る伊丹城(摂津国)から撤退する。
出典:『足利季世記』巻4「伊丹大和守心替ノ事」

天文19年 1550年 4月4日
足利義晴が北白川(山城国)に城を築く。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文19年 1550年 4月17日
細川晴元が、未明、山中より西院小泉城(山城国)に軍勢を差し向け攻撃する。馬廻衆1名、30名ばかりが討死する。午刻(11-13時)、寄衆が撤退する。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文19年 1550年 5月1日
足利義晴は自身の病が悪化したため、上野信孝伊勢貞孝三淵晴員飯川信堅大舘晴光摂津元造を召し、怨敵である三好長慶を退治し子・義藤を上洛させるようにと遺言を残す。
出典:『足利季世記』巻4「前将軍薨逝ノ事」

天文19年 1550年 5月2日
穴太(近江国)にて足利義晴の死去が噂される。
出典:『言継卿記』同年月3日条

天文19年 1550年 5月3日
土佐光茂足利義晴の御影を描く。
出典:足利義晴像(京都市立芸術大学芸術資料館所蔵)

天文19年 1550年 5月4日
辰刻(7-9時)、足利義晴が死去する。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文19年 1550年 5月4日
辰刻(7-9時)、父・義晴死去する。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文19年 1550年 5月7日
申刻(15-17時)、足利義晴に左大臣従一位が追贈される。院号は萬松院と噂される。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文19年 1550年 5月11日
細川晴元六角義賢の諫言により足利義藤が比叡辻(近江国)宝泉寺に移る。
出典:『足利季世記』巻4「前将軍薨逝ノ事」

天文19年 1550年 5月12日
小山新四郎山科言継から伊予局の薬代1丁半を受け取る。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文19年 1550年 5月19日
相国寺鹿苑院にて足利義晴の諷経の弔いが執行される。
出典:『足利季世記』巻4「前将軍薨逝ノ事」

天文19年 1550年 5月21日
慈照寺にて萬松院(足利義晴)の葬儀が執り行われる。
出典:『言継卿記』同年月日条

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