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天文18年 1549年 10月-日
今村慶満松永長頼が進士氏が知行していた石田・小栗栖の一部を知行する。
出典:『厳助大僧正記』同年月日条

天文18年 1549年 11月6日
朝、塩屋宗悦が津田宗達、木戸弥三左衛門、木屋与三右衛門を招き茶会を催す。
出典:『宗及茶湯日記』「茶湯幷唐物拝見之事」同年月日条

天文18年 1549年 11月7日
朝、宗好が椋宗理、万代屋道安、津田宗達を招き茶会を催す。
出典:『宗及茶湯日記』「茶湯幷唐物拝見之事」同年月日条

天文18年 1549年 11月9日
朝、重助九郎が宗好、津田宗達を招き茶会を催す。
出典:『宗及茶湯日記』「茶湯幷唐物拝見之事」同年月日条

天文18年 1549年 11月11日
三好長慶大徳寺真珠庵に対し謂れのない賦課を懸ける者がいたならば報告するようにと伝える。
出典:天文18年11月11日付三好長慶書状写(「真珠庵文書」『戦国遺文 三好氏編』第1巻-257号)

天文18年 1549年 11月19日
京都に住む山伏・石見 慶春(経舜)が山科言継のもとを訪れ、多賀社勧進帳を執筆してくれた礼として20疋を贈る。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文18年 1549年 11月19日
杉原盛重、杉原興勝が軍勢700をもって、平賀隆宗の拠る神辺城(備後国)の向城を攻める。
出典:『陰徳太平記』巻第17「平賀杉原合戦之事」

天文18年 1549年 11月21日
若狭屋宗可が、朝、津田宗達を招き茶会を催す。
宗可が、昼、塩屋次兵を招き茶会を催す。
出典:『宗及茶湯日記』「茶湯幷唐物拝見之事」同年月日条

天文18年 1549年 11月24日
三好長慶が御祈願所月峰寺(摂津国能勢郡)に従来どおり諸公事・臨時課役を免除することを伝える。
出典:天文18年11月24日付三好長慶書状写(「月峰寺文書」『戦国遺文 三好氏編』第1巻-258号)

天文18年 1549年 11月27日
留嶋四左が万代屋道安、宗好、津田宗達を招き茶会を催す。
出典:『宗及茶湯日記』「茶湯幷唐物拝見之事」同年月日条

天文18年 1549年 12月8日
下間駿河が津田宗達、道閲を招き茶会を催す。
出典:『宗及茶湯日記』「茶湯幷唐物拝見之事」同年月日条

天文18年 1549年 11月28日
朝、高隆喜が万代屋道安、宗好、津田宗達を招き茶会を催す。
出典:『宗及茶湯日記』「茶湯幷唐物拝見之事」同年月日条

天文18年 1549年 11月30日
朝、助四が万代屋道安、津田宗達を招き茶会を催す。
出典:『宗及茶湯日記』「茶湯幷唐物拝見之事」同年月日条

天文18年 1549年 11月-日
織田信長が熱田八ヶ村中に熱田社造営のため人別銭は熱田社へ納めるので国並みの棟別や他所・他国の勧進への奉加供出はしないこと、罪人を報告しない者は処罰すること、熱田社の法を守り他国や尾張国の敵味方・奉公人、足弱、預け物を取り調べることはしないこと、熱田社への参詣に対し路次において関銭の徴収等をしないこと、熱田社への使者役について負担に応じない者は譴責使を遣わすこと、俵物留めをしたとしても熱田社へは滞りなく運送するを定めた制札を発給する。
出典:天文18年11月日付織田信長判物(『増訂織田信長文書の研究 上巻』1号)

天文18年 1549年 12月4日
足利義晴が鷹狩をする。
出典:『足利季世記』巻4「伊丹大和守心替ノ事」

天文18年 1549年 12月5日
足利義晴が鷹狩をする。やや体調を崩す。
出典:『足利季世記』巻4「伊丹大和守心替ノ事」

天文18年 1549年 12月12日
三好長慶が寺町三郎左衛門の借物について、細川氏綱の命により摂津国欠郡は徳政につき返弁は必要なしの旨を伝える。
出典:(天文18年)12月12日付三好長慶書状(「灯心文庫所蔵文書」『戦国遺文 三好氏編』第1巻-260号)

天文18年 1549年 12月12日
椋宗理が、万代屋道安、宗好、津田宗達を招き茶会を催す。
出典:『宗及茶湯日記』「茶湯幷唐物拝見之事」同年月日条

天文18年 1549年 12月15日
朝、下間駿河が、万代屋道安、津田宗達を招き茶会を催す。
晩、道悦が下間駿河、津田宗達を招き茶会を催す。
出典:『宗及茶湯日記』「茶湯幷唐物拝見之事」同年月日条

天文18年 1549年 12月18日
淡路屋次郎兵衛が、津田宗達、宗好、木戸弥三左衛門を招き茶会を催す。
出典:『宗及茶湯日記』「茶湯幷唐物拝見之事」同年月日条

天文18年 1549年 -月-日
子・光宣が生まれる。
出典:『系図纂要』「烏丸」

天文18年 1549年 -月-日
子・義興が生まれる。
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天文18年 1549年 -月-日
清水寺本願が千部経法会の実施を細川晴元に確認したところ、晴元は三千部・四千部を用意し、万部経法会を実施すると宣伝するように答える。そのため、万部経法会の開催を知らせる高札をかかげる。
出典:『清水寺別当記』同年2月24日条

天文18年 1549年 -月-日
徳川家康が駿河国に赴く。石川数正が供奉する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第120「清和源氏 義時流 石川」「石川数正」の項

天文19年 1550年 -月-日
丹羽氏次が尾張国岩崎にて生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第85「丹羽氏次」の項

天文19年 1550年 -月-日
栗山利安が生まれる。
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天文19年 1550年 -月-日
遠藤慶隆が美濃国木越城にて生まれる。
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天文19年 1550年 -月-日
前田長種が生まれる。
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天文19年 1550年 -月-日
長尾一勝伊勢国河曲郡にて生まれる。
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天文19年? 1550?年 -月-日
内藤如庵が生まれる。
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