天正13年 1585年 閏8月24日 |
羽柴秀吉が上洛する。 |
出典:『兼見卿記』同年月日条 |
天正13年 1585年 閏8月26日 |
羽柴秀吉が施薬院全宗のもとで茶湯を催す。全宗の所に近衛龍山、大覚寺尊信、大乗院尋憲、一条内基、梶井宮最胤、飛鳥井雅春、日野輝資、烏丸光宣、吉田兼見が参礼として訪れる。龍山等が秀吉に進上した菓子を前田玄以が披露する。 |
出典:『兼見卿記』同年月日条 |
天正13年 1585年 閏8月27日 |
前田玄以・今出川晴季・勧修寺晴豊・千宗易が小御所に赴き、茶湯所を見分する。 |
出典:『兼見卿記』同年月日条 |
天正13年 1585年 閏8月27日 |
本願寺顕如が大坂城(摂津国)に帰城する豊臣秀吉を大坂城門外にて礼をする。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正13年 1585年 閏8月27日 |
下間頼廉が大坂城(摂津国)に帰城する豊臣秀吉を迎えるとして橋本(山城国)にて控えていたところ、秀吉より御座船に招かれ話し相手となる。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正13年 1585年 閏8月27日 |
羽柴秀吉が大坂城(摂津国)に帰城する。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正13年 1585年 9月1日 |
羽柴秀吉が加藤清正に替地として摂津国豊島郡内萱野村で1839石を給付する。 |
出典:天正13年9月1日付豊臣秀吉朱印状(「加藤文書」)(『大史』11-20 p2) |
天正13年 1585年 9月2日 |
新納久饒・本田刑部少輔・稲富長泰より、子・親重が島津氏に敵対するという噂が立っているが、合志親為が老齢の身でありながら島津氏に忠節を尽くすと表明したことについて、諸侍の手本となるべき行為であると称賛され、また家名の安堵も受ける。ただし、竹迫城は明け渡すように命じられたため抗議するも叶わず受け入れる。 |
出典:『上井覚兼日記』同年月日条 |
天正13年 1585年 9月2日 |
細川幽斎が丹後国より上洛する。横浜一庵(良慶)邸を旅宿とする。その旅宿に吉田兼見が訪れる。 |
出典:『兼見卿記』同年月日条 |
天正13年 1585年 9月3日 |
松井友閑が初めて本願寺顕如のもとに礼に訪れる。友閑に今井宗久が同道する。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正13年 1585年 9月3日 |
羽柴秀吉が大和国へ向かう。 秀吉が分国中で国替を実施。大和国の筒井定次を伊賀国に、大和国を弟・秀長に、高山重友を明石(播磨国)に、堀秀政を佐和山(近江国)から北之庄(越前国)30万石に、中川秀政を三木(播磨国)に移封する。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正13年 1585年 9月3日 |
細川幽斎が吉田牧庵の所にて茶会を催す。申刻(15-17時)、女婿・吉田兼和のもとを訪れ、焼風呂に入る。その後、吉田兼見・兼和親子を夕食をともにする。 |
出典:『兼見卿記』同年月日条 |
天正13年 1585年 9月5日 |
新納久饒・稲富長泰が竹迫城(肥後国)に遣わされ、同城が島津氏に接収される。 |
出典:『上井覚兼日記』同年月日条 |
天正13年 1585年 9月6日 |
吉田兼見の使者が細川幽斎の旅宿を訪れる。幽斎は、明日(7日)、大坂(摂津国)に下向することを伝える。 |
出典:『兼見卿記』同年月日条 |
天正13年 1585年 9月8日 |
本願寺顕如、教如、興正寺顕尊が羽柴秀吉のもとに礼に訪れる。座敷にて湯漬け、三之膳でもてなす。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正13年 1585年 9月10日 |
脇坂安治、宮木藤左衛門が本願寺顕如のもとに礼に訪れる。安治・藤左衛門に顕如は子・教如、興正寺顕尊とともに対面する。 石田三成が顕如のもとに礼に訪れ、顕如に1腰・馬を、教如に太刀・馬代を、顕尊に1腰・馬代を贈る。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正13年 1585年 9月10日 |
合志親為のしんみりとしている様子を見かねた上井覚兼が親為に酒肴を贈る。 |
出典:『上井覚兼日記』同年月日条条 |
天正13年 1585年 9月11日 |
立花道雪が死去する。 |
出典:『寛政重修家譜』巻第112「清和源氏 為義流 立花」「立花鑑連」 |
天正13年 1585年 9月12日 |
施薬院全宗が今井宗久・今井隼人を同道して本願寺顕如のもとに礼に訪れる。全宗は顕如・教如・興正寺顕尊に銀5枚を贈る。顕如は子・教如、顕尊とともに全宗・宗久・隼人に対面する。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正13年 1585年 9月14日 |
羽柴秀吉が有馬(摂津国)に湯治のため向かう途中、天満本願寺に立ち寄る。石田三成、増田長盛、大谷吉継、千抛筅斎、施薬院全宗、今井宗久、今井宗薫等が随従する。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正13年 1585年 9月22日 |
伊達政宗が築飯を出発し、田村清顕領の地黒カコト城(陸奥国)に移る。 |
出典:『伊達日記』上 |
天正13年 1585年 9月23日 |
本願寺顕如が湯治に赴く。子・准如、下間頼廉、宇野主水が随従する。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正13年 1585年 9月24日 |
伊達政宗がヲウハノ内城(陸奥国)を攻める。 |
出典:『伊達日記』上 |
天正13年 1585年 9月25日 |
伊達政宗が岩津野(陸奥国)に入る。 |
出典:『伊達日記』上 |
天正13年 1585年 9月26日 |
伊達政宗が小浜城(陸奥国)に入る。 |
出典:『伊達日記』上 |
天正13年 1585年 9月1月28日日 |
細川幽斎が大坂(摂津国)より上洛する。 |
出典:『兼見卿記』同年月日条 |
天正13年 1585年 10月1日 |
北條氏直が小田原城(相模国)修築のため、同国三田に人夫を課す。 |
出典:『相州文書』同年月日条 |
天正13年 1585年 10月2日 |
羽柴秀吉が島津義久に東国の平定を伝え、九州における義久の紛争停止を求め、要請に応じない場合は成敗する旨を伝える。 |
出典:(天正13年)10月2日付羽柴秀吉書状(『島津家文書』1-344号) |
天正13年 1585年 10月4日 |
細川幽斎が施薬院全宗の所で茶会を催す。その茶会に羽柴秀吉が参会する。 |
出典:『兼見卿記』同年月日条 |
天正13年 1585年 10月6日 |
10月7日に小御所で開催予定の正親町天皇進上茶会について羽柴秀吉、千宗易が小御所に赴き段取りを確認する。 |
出典:『兼見卿記』同年月日条 |