文禄2年 1593年 閏9月23日 |
応其の病が回復し、豊臣秀吉のもとに謁見する。 |
出典:『駒井日記』同年月日条 |
文禄2年 1593年 閏9月23日 |
伏見城(山城国)にて口切の茶事が行われる。口切の茶壷は四十石が用いられる。 |
出典:『駒井日記』同年月日条 |
文禄2年 1593年 閏9月24日 |
朝、豊臣秀吉が伏見(山城国)の池田伊予守邸へ茶の湯に赴く。 晩、木下吉隆邸に赴く。 |
出典:『駒井日記』同年月日条 |
文禄2年 1593年 閏9月25日 |
朝、豊臣秀吉が織田有楽斎邸へ赴く。 晩、秀吉は堀尾吉晴邸に赴く。 |
出典:『駒井日記』同年月日条 |
文禄2年 1593年 10月1日 |
豊臣秀吉が、秀吉の子・お拾に甥・豊臣秀次の娘を嫁がせるよう命じる。この婚約につき、前田利家と松の夫妻に仲人を命じる。 |
出典:『駒井日記』同年月日条 |
文禄2年 1593年 10月2日 |
戌刻(19-21時)、豊臣秀次が大垣(美濃国)に到着する。大垣本町助三の所に宿泊する。 |
出典:『駒井日記』同年月日条 |
文禄2年 1593年 10月2日 |
柳沢元政が従五位下・監物に叙位・任官。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第965「柳沢元政」の項 |
文禄2年 1593年 10月3日 |
未刻(13-15時)、豊臣秀次が清州(尾張国)に到着する。 |
出典:『駒井日記』同年月日条 |
文禄2年 1593年 10月5日 |
織田信雄が参内する。禁裏で行われた能で「山姥」を舞う。 |
出典:『駒井日記』同年月日・7日条 |
文禄2年 1593年 10月5日 |
蒲生氏郷が参内する。禁裏で行われた能で「うのは」を舞う予定であったが日暮れによりならず。 |
出典:『駒井日記』同年月日・7日・8日条 |
文禄2年 1593年 10月5日 |
徳川家康が参内する。禁裏で行われた能で「千手」を舞う。 |
出典:『駒井日記』同年月日・7日条 |
文禄2年 1593年 10月5日 |
豊臣秀吉、前田利家が施薬院全宗所に赴く。茶の湯の後、全宗が名護屋(肥前国)にて購入した壺を25枚(金?)にて召し上げる。 参内する。禁裏にて能を催す。 全宗所に帰る。 |
出典:『駒井日記』同年月日条 |
文禄2年 1593年 10月5日 |
豊臣秀吉、前田利家が施薬院全宗所に赴く。その後、参内する。禁裏で行われた能で「源氏供養」を舞う。 |
出典:『駒井日記』同年月日・7日条 |
文禄2年 1593年 10月6日 |
5日に禁裏で行われた能で「山姥」を舞ったことにつき鳥目5貫が禁裏より下付される。 |
出典:『駒井日記』同年月8日条 |
文禄2年 1593年 10月6日 |
5日に禁裏で行われた能で「千手」を舞ったことにつき鳥目5貫が禁裏より下付される。 |
出典:『駒井日記』同年月8日条 |
文禄2年 1593年 10月6日 |
5日に禁裏で行われた能で「源氏供養」を舞ったことにつき鳥目5貫が禁裏より下付される。 |
出典:『駒井日記』同年月8日条 |
文禄2年 1593年 10月9日 |
豊臣秀次が伊庭(近江国)に宿泊する。徳永寿昌が膳を進上する。 |
出典:『駒井日記』同年月日条 |
文禄2年 1593年 10月10日 |
豊臣秀次が草津(近江国)に宿泊する。 |
出典:『駒井日記』同年月日条 |
文禄2年 1593年 10月11日 |
辰刻(7-9時)、豊臣秀次が聚楽第(山城国)に到着する。 |
出典:『駒井日記』同年月日条 |
文禄2年 1593年 10月13日 |
豊臣秀吉・豊臣秀次より本願寺准如のもとに上使がやってくる。3献にて応対する。 |
出典:『文禄二年十月ヨリノ日次記』同年月日条 |
文禄2年 1593年 11月10日 |
豊臣秀吉が脇坂安治に、来春、秀吉が朝鮮に渡海する余邸であること、朝鮮水軍の乗っ取りは今後芙蓉てあること、玉薬を遣わすこと、兵粮の蓄え・城の普請に精を入れること、船着きから漢城まで街道にある城々を整え往還が自由にできるようにすること等を命じる。 |
出典:『脇坂家伝記』 |
文禄2年 1593年 11月12日 |
豊臣秀吉が下間頼廉を赦免する。 |
出典:『文禄二年十月ヨリノ日次記』同年月日条 |
文禄2年 1593年 11月14日 |
下間頼廉が本願寺准如の家督相続の礼をする。 |
出典:『文禄二年十月ヨリノ日次記』同年月日条 |
文禄2年 1593年 11月18日 |
本願寺准如が下間頼廉を奏者役に命じる。 |
出典:『文禄二年十月ヨリノ日次記』同年月日条 |
文禄2年 1593年 11月20日 |
豊臣秀吉が浅野長政・幸長父子に甲斐国一国を給付すること、伊達政宗、南部信直、宇都宮国綱、那須資晴、成田氏長を与力として付すことを伝える。 |
出典:同年月日付豊臣秀吉判物(『浅野家文書』321号) |
文禄2年 1593年 11月25日 |
大仏殿の応其の屋敷で連歌会が行われる。参会者は前田玄以・里村紹巴・西洞院時慶・里村昌叱・文閑・里村玄仍・下間頼純・里村紹与・猪苗代如。 |
出典:『時慶卿記』同年月日条 |
文禄2年 1593年 11月25日 |
前田利常が生まれる。 |
出典:- |
文禄2年 1593年 11月26日 |
高野山では、以後、新造の坊舎について、坊料を付けないことと応其・無量光院・北室院・桜池院・遍照光院・龍光院・如意輪寺・宝性院・高室院・正智院・無量寿院の連名をもって定める。 |
出典:文禄2年11月26日付木食興山上人等連署覚書案『高野山文書』巻1-70号 |
文禄2年 1593年 12月3日 |
増田長盛が本願寺准如にもとにえなみ助直を遣わす。 |
出典:『文禄二年十月ヨリノ日次記』同年月日条 |
文禄2年 1593年 12月7日 |
豊臣秀吉が桑名(伊勢国)に到着する。 |
出典:『駒井日記』同年月8日条 |