人 物 史

浅井久政 あざい ひさまさ
生 没 年大永6年(1526)-天正1年(1573)8/27
出 身近江国幼 名猿夜叉
別 称新九郎
法 名-
戒 名-
浅井亮政-
兄 弟 姉 妹-
配 偶 者井口経元の娘
浅井長政、浅井政元、浅井政之、岡崎安休、浅井治政、阿久、大弐局、京極マリア
官 位左兵衛尉、下野守
役 職-
城 郭小谷城(近江国)
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ浅井久政の関連文化財
史料にみえる浅井久政の呼称
浅井久政 年表
和暦 西暦 年齢 事項 出典
大永6年1526--1浅井久政が生まれる。-
天文12年154392418本願寺証如浅井久政に音信を遣わす。『天文日記』同年月日条
天文14年1545--20子・長政が生まれる。-
弘治2年155642031長良川(美濃国)にて斎藤道三斎藤義龍が戦い、道三が戦死する。-
永禄3年1560--35浅井長政が家臣の赤尾、丁野、百々、安養寺等と相談し、父・久政を隠居させ家督を相続し、妻の平井加賀守の娘と離縁する。『江濃記』「浅井出身事」
永禄4年156151136斎藤義龍が死去する。-
永禄7年15643-39浅井長政が軍勢6000を率い美濃国に攻め入る。『江濃記』「道三最後之事」
永禄7年156432239六角承禎が軍勢14000をもって佐和山城(近江国)を包囲する。『江濃記』「佐々木承禎出張事」
永禄12年15697244孫・淀殿が生まれる。-
元亀1年157051045織田信長が軍勢20000を率い、京都(山城国)を発ち、近江国へ出陣する。三好義継松永久秀等が信長を見送る。信長は志賀(近江国)の城に入る。『言継卿記』同年月日条
元亀1年157051245織田信長が瀬田(近江国)の山岡城(近江国)に入る。『言継卿記』同年月日条、『信長公記』巻3(4)「越前手筒山攻落されの事」
元亀1年157051345織田信長が永原(近江国)に到着する。永原城(近江国)に佐久間信盛を、長光寺城(近江国)に柴田勝家を置く。安土城(近江国)に中川重政を在番させる。『言継卿記』同年月日条、『信長公記』巻3(4)「越前手筒山攻落されの事」
元亀1年157051945永原城(近江国)にいる織田信長のもとに見舞いに赴いていた日乗村井貞勝が京都(山城国)に戻る。信長と六角義賢との和議が不調に終わる。信長は美濃国に向け、永原城を発ったとされる。その道中、信長は甲津畑(近江国)にて鉄砲4挺にて狙撃される。
義賢・義治父子は石部城(近江国)を軍勢20000で攻める。
『言継卿記』同年月日・22日条
元亀1年15706445午刻(11-13時)、落窪(近江国)にて柴田勝家佐久間信盛六角承禎義治父子が戦い、勝家等が勝利する。
申刻(15-17時)、織田勢の勝利の報が足利義昭のもとにもたらされる。
『言継卿記』同年月日条、『信長公記』巻3(6)「落窪合戦の事」、『当代記』同年月日条
元亀1年157062145織田信長小谷城(近江国)攻めのため虎御前山(近江国)に陣取る。坂井政尚森可成斎藤利治、市橋長勝、佐藤六左衛門、塚本小大膳、不破光治丸毛長照が雲雀山に陣取る。信長の命により、柴田勝家佐久間信盛蜂屋頼隆木下秀吉丹羽長秀等が小谷城の在所・谷々を焼き払う。『信長公記』巻3(7)「たけくらべかりやす取出の事」
元亀1年157062645浅井久政長政父子が大寄山(近江国)に陣取る。織田信長が龍鼻(近江国)に陣取る。『当代記』同年月日条
元亀1年157062745徳川家康織田信長の陣取る龍鼻(近江国)に着陣する。『当代記』同年月日条
元亀1年157062845巳刻(9-11時)、姉川(近江国)にて織田信長徳川家康浅井長政朝倉義景が戦い信長・家康勢が勝利する。
織田信長勢:織田信長[大将]、坂井政尚坂井尚恒(戦死)、丹羽氏勝大島光義
徳川家康勢:徳川家康[大将]、酒井忠次[先鋒]、石川数正榊原康政松平信一松平忠正酒井重忠小栗忠政(銘 信国の槍で奮戦)、本多広孝、天野康景、小笠原広重、野々山元政渥美友勝加藤正次
浅井長政勢:浅井長政[大将]、遠藤直経(戦死)、藤堂高虎
朝倉勢:真柄直隆(戦死)、真柄直澄(戦死)、真柄隆基(戦死)。
戦後、信長が小谷城(近江国)の押さえとして木下秀吉を横山城(近江国)に置く。
『言継卿記』同年月29日条、『信長公記』巻3(8)「あね川合戦の事」、『寛政重修諸家譜』巻第5「松平忠正」の項、同7「松平信一」の項、同45「小栗忠政」の項、同59「酒井重忠」の項、同65「酒井忠次」の項、同73「大島光義」の項、同85「丹羽氏勝」の項、同110「野々山元政」の項、同120「石川数正」の項、同191「小笠原広重」の項、同100「榊原康政」の項、同777「加藤正次」の項、同961「渥美友勝」の項、『藤堂家覚書
元亀3年157271947織田信長小谷城(近江国)を攻めるべく岐阜城(美濃国)を出発し、赤坂(美濃国)に宿泊する。織田信忠が初陣として小谷城攻めに加わる。『信長公記』巻5(3)「奇妙様御具足初に虎後前山御要害の事」
元亀3年157272147織田信長が、ひばり山、虎御前山に軍勢を置く。信長の命により小谷城(近江国)に押し寄せ、佐久間信盛柴田勝家木下秀吉丹羽長秀蜂屋頼隆が城下町を破る。勝家、稲葉良通氏家直昌安藤守就とともに先陣として布陣する。『信長公記』巻5(3)「奇妙様御具足初に虎後前山御要害の事」
元亀4年157341248武田信玄が死去する。『寛政重修諸家譜』巻第145「武田晴信」の項
天正1年15738848浅井長政家臣・阿閉貞征が織田信長に内通する。『信長公記』巻6(11)「阿閉謀叛の事」
天正1年157381048織田信長が大づくの北山田山に軍勢を置き朝倉義景勢の越前国への通路を断つ。『信長公記』巻6(11)「阿閉謀叛の事」
天正1年157381248浅見対馬の手引きにより大づくの下焼尾に織田信長が軍勢を入れ、信長自ら太山大づくに籠る朝倉勢を攻撃し落とす。大づくには塚本小大膳、不破光治不破直光丸毛長照、丸毛三郎兵衛を置く。その後、丁野山に攻めかかり、同所に拠る朝倉勢が降伏する。
織田信忠が虎御前山(近江国)に陣取る。
『信長公記』巻6(12)(「大筒・丁野攻破らるるの事」)
天正1年157381348織田信長朝倉義景の陣所に夜襲をかける。佐久間信盛柴田勝家滝川一益蜂屋頼隆羽柴秀吉丹羽長秀氏家直昌安藤守就稲葉良通、稲葉右京亮、稲葉貞通蒲生賢秀蒲生氏郷、永原筑前、進藤山城守、永田刑部少輔、多賀常則、久徳左近、阿閉貞征、阿閉孫五郎、山岡景隆、山岡孫太郎、山岡景猶に先陣を命じるも、信長は先陣を追い越し陣所に攻め入ったため、先陣の役割を果たさなかった諸将を叱責する。信長の叱責を受けた諸将は立つ瀬がないと信長に詫びるも、信盛は「自分たち程の家臣はない」と豪語したことで信長は機嫌を損ねる。『信長公記』巻6(12)(「大筒・丁野攻破らるるの事」)・(13)(「刀根山の戦並に一乗谷攻破らるるの事」)
天正1年157381448昨夜より織田信長朝倉義景勢に夜襲をかけ、朝倉勢は中野河内口、刀根口に撤退するも、織田勢が追撃し、3000程を討ち取る。斎藤龍興が戦死する。
信長が敦賀(越前国)に滞在する。
『信長公記』巻6(12)(「大筒・丁野攻破らるるの事」)・(13)(「刀根山の戦並に一乗谷攻破らるるの事」)
天正1年157381548織田信長が敦賀(越前国)に滞在する。『信長公記』巻6(13)(「刀根山の戦並に一乗谷攻破らるるの事」)
天正1年157381648織田信長が敦賀(越前国)に滞在する。『信長公記』巻6(13)(「刀根山の戦並に一乗谷攻破らるるの事」)
天正1年157381748織田信長が木芽峠を越えて越前国に侵入する。『信長公記』巻6(13)(「刀根山の戦並に一乗谷攻破らるるの事」)
天正1年157381848織田信長が府中龍門寺(越前国)に陣取る。朝倉義景は一乗谷(越前国)を引き払い大野郡山田庄六坊に移る。『信長公記』巻6(13)(「刀根山の戦並に一乗谷攻破らるるの事」)
天正1年157382048朝倉景鏡の裏切りにより賢松寺(越前国)にて朝倉義景が自害する。義景の首が龍門寺(越前国)にいる織田信長のもとにもたらされる。『信長公記』巻6(14)(「朝倉義景成敗、越前一国平均に申付けらるるの事」)
天正1年157382648織田信長が虎御前山(近江国)に入る。『信長公記』巻6(14)(「朝倉義景成敗、越前一国平均に申付けらるるの事」)
天正1年157382748羽柴秀吉小谷城(近江国)京極丸を攻略し、浅井久政長政父子を分断する。秀吉は小丸に籠る久政を攻め、久政は切腹する。久政の首は織田信長の居る虎御前山に届けられる。『信長公記』巻6(15)(「浅井下野・備前父子成敗、羽柴筑前跡職仰付けらるるの事」)
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