人 物 史

北条氏邦 ほうじょう うじくに
生 没 年天文17年(1548)-慶長2年(1597)8/8
出 身-幼 名乙千代丸、千代丸
別 称新太郎、藤田氏邦
法 名宗青
戒 名昌竜寺殿天室宗青大居士
北条氏康、藤田康邦[養父]-
兄 弟 姉 妹北条氏親、北条氏政、七曲殿、北条氏照、尾崎殿、北条氏規、長林院殿、蔵春院殿、北条氏邦上杉景虎、北条氏忠、北条氏光、桂林院殿、浄光院殿
配 偶 者藤田康邦の娘
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官 位安房守
役 職-
城 郭鉢形城(武蔵国)、箕輪城(上野国)
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ北条氏邦の家臣
北条氏邦の関連文化財
北条氏邦 年表
天文17年 1548年 -月-日 1歳
北条氏邦が生まれる。
出典:-

弘治1年 1555年 10月23日 8歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
出典:-

弘治4年 1558年 2月28日 11歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
出典:-

永禄5年 1562年 4月8日 15歳
叔父・氏堯が死去する。
出典:-

永禄11年 1568年 12月12日 21歳
北条氏政今川氏真を救援すべく小田原城(相模国)より駿河国に向けて出陣する。
出典:(永禄11年)12月28日付由良成重書状(『上杉家文書』1-528号)

永禄11年 1568年 12月13日 21歳
興津(駿河国)にて北条氏政武田信玄が戦う。
出典:(永禄11年)12月28日付由良成重書状(『上杉家文書』1-528号)

永禄12年 1569年 1月26日 22歳
北条氏政が三島(伊豆国)を発ち、薩埵山に陣取る武田信玄勢と戦う。
出典:(永徳12年)2月6日付北条氏政書状(『上杉家文書』1-538号)

永禄12年 1569年 9月10日 22歳
御獄(武蔵国)にて武田信玄と藤田氏邦が戦う。
出典:(永禄12年)9月10日付藤田氏邦書状(『上杉家文書』1-582号)

永禄12年 1569年 9月10日 22歳
武田信玄が藤田氏邦の籠る鉢形城(武蔵国)を攻める。氏邦が信玄勢を退ける。
出典:(永禄12年)9月10日付藤田氏邦書状(『上杉家文書』1-582号)

永禄12年 1569年 10月4日 22歳
武田信玄北条氏康北条氏政父子の籠る小田原城(相模国)の攻略を諦め、同地より撤退する。
出典:(永禄12年)10月16日付北条氏康書状(『上杉家文書』1-585号)

永禄12年 1569年 10月8日 22歳
三増峠(相模国)にて武田信玄北条氏照・氏邦・綱成等が戦い、信玄が勝利する。
武田勢:山高信親
出典:『寛政重修諸家譜』巻第161「山高信親」の項

元亀1年 1570年 4月23日 23歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

元亀1年 1570年 4月25日 23歳
北条三郎と清円院(長尾政景の娘)の婚儀が執り行われる。謙信は三郎に上杉景虎の名を与え、養子とする。
出典:(元亀1年)5月12日付北条氏康書状(『上杉家文書』巻1-609号)

元亀2年 1571年 10月3日 24歳
父・氏康が死去する。
出典:『早雲寺過去帳』

天正1年 1573年 7月28日 26歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正7年 1579年 3月24日 32歳
上杉景勝上杉景虎の籠る鮫尾城(越後国)を攻める。景虎は切腹する。
出典:(天正7年)3月24日付上杉景虎書状(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』1800号)

天正10年 1582年 6月19日 35歳
神流川(上野国)にて滝川一益北条氏直が戦い、氏直が勝利する。一益は厩橋城(上野国)に帰城する。
出典:-

天正10年 1582年 10月29日 35歳
徳川家康北条氏直が和睦する。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正18年 1590年 2月10日 43歳
徳川家康豊臣秀吉小田原城(相模国)攻めにつき駿府城(駿河国)を出立し、賀島(駿河国)に到着する。
徳川家康勢:渥美友勝、保科正直、保科正光、青木信時柳沢信俊、山高信直、折井次昌加藤正次秋鹿直朝鈴木信光小尾祐光津金胤久跡部久次酒依昌吉
出典:『家忠日記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第174「酒依昌吉」の項、同965「秋鹿直朝」の項、同1156「鈴木信光」の項

天正18年 1590年 3月1日 43歳
豊臣秀吉北条氏政氏直父子を討伐するため京都を出陣する。
出典:『北野社家日記』同年月日条

天正18年 1590年 3月29日 43歳
豊臣秀吉が箱根山に着陣する。
出典:(天正18年)3月29日付豊臣秀吉朱印状(「三英傑と名古屋」展実行委員会編『三英傑と名古屋』2014年10月)、(天正18年)4月1日付豊臣秀吉朱印状(『上越市史 別編2 上杉氏文書集2』3351号「鳥垣文書」)、韮山城取巻人数書(『毛利家文書』4-1560号)、(天正18年)4月1日付豊臣秀吉朱印状(『上越市史 別編2 上杉氏文書集2』3351号「鳥垣文書」)『黒田家譜』巻5「孝高記」、『太閤さま軍記のうち』

天正18年 1590年 3月29日 43歳
豊臣秀次が松田康長が籠る山中城(伊豆国)攻め、同城を落とす。
豊臣勢:豊臣秀次[大将]、中村一氏[先陣]、一柳直末[先陣](戦死)、渡辺了[中村一氏勢]、薮内匠[中村一氏勢]。
北条勢:松田康長[大将](戦死)。
出典:(天正18年)3月29日付豊臣秀吉朱印状(「三英傑と名古屋」展実行委員会編『三英傑と名古屋』2014年10月)、(天正18年)4月1日付豊臣秀吉朱印状(『上越市史 別編2 上杉氏文書集2』3351号「鳥垣文書」)、韮山城取巻人数書(『毛利家文書』4-1560号)、(天正18年)4月1日付豊臣秀吉朱印状(『上越市史 別編2 上杉氏文書集2』3351号「鳥垣文書」)『黒田家譜』巻5「孝高記」、『太閤さま軍記のうち』

天正18年 1590年 3月29日 43歳
豊臣勢が韮山城(伊豆国)を包囲する。
豊臣勢[44100]:織田信雄[軍勢17000]、織田信包[軍勢3200]、蒲生氏郷[軍勢4000]、稲葉貞通[軍勢1200]、細川忠興[軍勢2700]、森忠政[軍勢2100]、中川秀政[軍勢2000]、山崎・岡本良勝[軍勢2200]、筒井定次[軍勢1500]、生駒親正[軍勢2200]、蜂須賀家政[軍勢2500]、福島正則[軍勢1800]、戸田勝隆[軍勢1700]。
北条勢:富田直久(戦死)。
出典:(天正18年)3月29日付豊臣秀吉朱印状(「三英傑と名古屋」展実行委員会編『三英傑と名古屋』2014年10月)、(天正18年)4月1日付豊臣秀吉朱印状(『上越市史 別編2 上杉氏文書集2』3351号「鳥垣文書」)、韮山城取巻人数書(『毛利家文書』4-1560号)、(天正18年)4月1日付豊臣秀吉朱印状(『上越市史 別編2 上杉氏文書集2』3351号「鳥垣文書」)『黒田家譜』巻5「孝高記」、『太閤さま軍記のうち』

天正18年 1590年 4月1日 43歳
豊臣秀吉が箱根山(相模国)に陣取る。小田原城(相模国)を包囲する。豊臣勢:池田輝政
出典:(天正18年)4月1日付豊臣秀吉朱印状(『上越市史 別編2 上杉氏文書集2』3351号「鳥垣文書」)

天正18年 1590年 6月17日 43歳
松田憲秀の豊臣秀吉への内通が発覚する。
出典:『天正日記』同年月日条

天正18年 1590年 6月24日 43歳
豊臣秀吉が、小田原城(相模国)に籠城している北条氏政氏直父子に降伏を促すため、同城に黒田如水滝川雄利を遣わす。
出典:『天正日記』同年月日条

天正18年 1590年 7月6日 43歳
北条氏政氏直父子が豊臣秀吉に降伏する。脇坂安治片桐且元榊原康政小田原城(相模国)に赴き、城を請け取る。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第100「清和源氏 義家流 足利支流 榊原」「榊原康政」の項

天正18年 1590年 7月12日 43歳
北条氏政北条氏照・笠原新六郎・大道寺政繁が切腹する。検使は榊原康政
出典:『太閤さま軍記のうち』、『寛政重修諸家譜』巻第100「清和源氏 義家流 足利支流 榊原」「榊原康政」の項

天正19年 1591年 11月4日 44歳
甥・氏直が死去する。
出典:-

文禄1年 1592年 12月8日 45歳
「天正」より「文禄」に年号が改まる。
出典:-

慶長1年 1596年 10月27日 49歳
「文禄」より「慶長」に元号が改まる。
出典:-

慶長2年 1597年 8月8日 50歳
北条氏邦が死去する。
出典:-

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