永禄3年 1560年 2月25日 |
足利義輝が熊谷信直に太刀1腰・青銅1000疋を贈ってもらったことへの礼状を発給する。 |
出典:永禄3年2月25日付足利義輝御内書(『大日本古文書』家わけ14「熊谷家文書」133号) |
永禄3年 1560年 -月-日 |
松平定勝が尾張国知多郡阿久比にて生まれる。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第54「松平定勝」の項 |
永禄3年 1560年 3月5日 |
三好長慶が堺に在陣する。 |
出典:『足利季世記』巻5「長慶任修理大夫事」 |
永禄3年 1560年 3月-日 |
松平元康が阿古居(尾張国)の久松俊勝邸に赴く。俊勝の子・康元、康俊、定勝が異父兄の元康に初めて謁す。元康は異父弟の3人を兄弟として遇し、松平を名乗るように言い渡す。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第52「松平康元」の項、同巻第54「松平定勝」の項 |
永禄3年 1560年 4月3日 |
三好長慶が河内国に入る。 |
出典:『足利季世記』巻5「長慶任修理大夫事」 |
永禄3年 1560年 4月4日 |
三好長慶が芥川山城(摂津国)に帰城する。 |
出典:『足利季世記』巻5「長慶任修理大夫事」 |
永禄3年 1560年 4月6日 |
三好長慶が淡路国に向かうため兵庫(摂津国)に入る。 |
出典:『足利季世記』巻5「長慶任修理大夫事」 |
永禄3年 1560年 4月8日 |
洲本(淡路国)にて、不和となっていた三好長慶と三好之虎が会見する。之虎は出家し物外軒実休と号す。 |
出典:『足利季世記』巻5「長慶任修理大夫事」 |
永禄3年 1560年 4月10日 |
後藤基次が播磨国神東郡山田村にて生まれる。 |
出典:- |
永禄3年 1560年 4月28日 |
三好長慶が芥川山城(摂津国)に帰城する。 |
出典:『足利季世記』巻5「長慶任修理大夫事」 |
永禄3年 1560年 4月28日 |
沼田光兼が死去する。 |
出典:『綿考輯録』巻1 |
永禄3年 1560年 5月8日 |
今川氏真が従四位下に叙される。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第94「今川氏真」の項 |
永禄3年 1560年 5月16日 |
三好長慶と畠山高政が断交する。 |
出典:『厳助往年記』同年月日条 |
永禄3年 1560年 5月18日 |
今川義元勢が丸根砦(尾張国)を攻め、同砦を攻め落とす。 今川義元勢:松平正親(戦死)。 夜、松平元康が大高城(尾張国)に兵粮を入れる。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第26「松平正親」の項 |
永禄3年 1560年 5月19日 |
桶狭間にて織田信長が今川義元を襲撃し、義元が戦死する。義元は毛利良勝が討ち取る。 織田信長勢:森可成、前田利家。 今川義元勢:松平宗次(戦死)、鈴木重村。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第16「松平宗次」の項、同126「森可成」の項、同1154「鈴木重村」の項 |
永禄3年 1560年 5月23日 |
徳川家康が大高城(尾張国)より撤退する。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第29「松平好景」の項 |
永禄3年 1560年 5月26日 |
長宗我部国親が本山茂達の家臣・大窪美作守が守る長浜城(土佐国)を急襲し、同城を落とす。 |
出典:『南海通紀』巻12「長宗我部宮内少輔抜長浜城記」 |
永禄3年 1560年 5月28日 |
本山茂辰が朝倉城(土佐国)より出陣し、長浜城(土佐国)を攻めるため木須賀に陣取る。 |
出典:『南海通紀』巻12「長宗我部宮内少輔抜長浜城記」 |
永禄3年 1560年 5月29日 |
戸ノ本(土佐国)にて本山茂辰と長宗我部国親・元親が戦い、国親が勝利する。 |
出典:『南海通紀』巻12「長宗我部宮内少輔抜長浜城記」 |
永禄3年 1560年 6月2日 |
足利義輝が島津貴久と伊東義祐に紛争を停止するよう命じる。 |
出典:(永禄3年)6月2日付足利義輝御内書(『島津家文書』1-86号) |
永禄3年 1560年 6月10日 |
桶狭間の戦いにおける織田信長の勝利を聞きつけ見舞いの使者を佐久間信盛のもとに送った伊勢神宮の御師 福井勘右衛門に対し「義元御討死」と、初穂として30疋を進納することを伝える。 |
出典:(永禄3年)6月10日付佐久間信盛書状写(『増訂織田信長文書の研究 上巻』参考(『伊勢古文書集』3上)) |
永禄3年 1560年 6月15日 |
長宗我部国親が死去する。 |
出典:『南海通紀』巻12「長宗我部宮内少輔抜長浜城記」 |
永禄3年 1560年 6月24日 |
畠山高政討伐のため三好長慶の催促をうけた三好実休が四国衆を率い尼崎(摂津国)に到着する。 |
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」 |
永禄3年 1560年 6月-日 |
新たに完成した御所に移る。 |
出典:『厳助大僧正記』同年月条 |
永禄3年 1560年 7月3日 |
玉櫛(河内国)にて畠山高政と三好実休が戦い、実休が勝利する。実休は若井(河内国)を攻める。 |
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」 |
永禄3年 1560年 7月3日 |
片桐貞隆が生まれる。 |
出典:- |
永禄3年 1560年 -月-日 |
*7月5日以前。 長尾景虎の上野国侵攻につき、北条氏康が本願寺顕如に武蔵国における一向衆禁制の解除を条件に加賀一向一揆の軍勢を景虎領国の越後国へ侵攻するよう依頼する。 |
出典:(永禄3年カ)7月5日付下間頼充書状写(『加能史料』14 永禄3年7月5日条 「箱根神社文書」)、永禄9年10月2日付北条氏康朱印状(『加能史料』14 永禄3年7月5日条 「善福寺文書」) |
永禄3年 1560年 7月5日 |
本願寺顕如が北条氏康に、長尾景虎の領国越後国へ加賀一向一揆の軍勢を攻め込ませると伝える。また、一向一揆の越後侵攻の条件としてい提示された武蔵国一向衆の禁制解除を喜ぶ。 |
出典:(永禄3年カ)7月5日付下間頼充書状写(『加能史料』14 永禄3年7月5日条 「箱根神社文書」)、永禄9年10月2日付北条氏康朱印状(『加能史料』14 永禄3年7月5日条 「善福寺文書」) |
永禄3年 1560年 7月7日 |
三好実休が太田・若林(河内国)に陣替えする。 |
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」 |
永禄3年 1560年 7月19日 |
三好実休が富田林(河内国)に陣取る。 |
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」 |