永禄3年 1560年 7月22日 |
大窪にて三好実休と安見宗房が戦い、実休が勝利する。 |
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」 |
永禄3年 1560年 7月24日 |
松永久秀が畠山高政方の井戸若狭守が籠る井戸城(大和国)を攻める。 |
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」 |
永禄3年 1560年 8月7日 |
里村紹巴・細川藤孝・里村昌叱で連歌百韻を興行する。 |
出典:『綿考輯録』巻1、 |
永禄3年 1560年 8月8日 |
熊谷信直が足利義輝に伊豆守の名乗りを認可してもらったことについて、その礼として太刀1腰・鵞眼1000疋の礼物を納めたことについて、義輝が礼状を発給する。 |
出典:永禄3年8月8日付足利義輝御内書(『大日本古文書』家わけ14「熊谷家文書」137号) |
永禄3年 1560年 8月14日 |
堀溝にて池田勢と安見宗房が戦い、池田勢が勝利する。 |
出典:『足利季世記』巻5「細川氏綱淀城入事」 |
永禄3年 1560年 8月25日 |
武田信玄が甲斐国客僧中(山伏)に対し、棟別役・普請の免除、遠国への使者を勤めるべきこと、先達引導の際に関銭免除のこと(ただし先達業の時以外は関銭を支払うべきこと)を定める。 |
出典:永禄3年8月25日付武田信玄朱印状(『山梨県史』資料編5「武田文書 一」201号) |
永禄3年 1560年 8月30日 |
三好実休が高屋城(河内国)近所に攻め寄せる。 |
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」 |
永禄3年 1560年 8月-日 |
井戸若狭守が松永久秀に降伏し井戸城(大和国)を明け渡す。 |
出典:『足利季世記』巻5「長慶任修理大夫事」 |
永禄3年 1560年 9月9日 |
高屋城(河内国)東の河原口にて伊丹親興と貴志・丹下・野尻が率いる畠山勢と交戦し、親興が勝利する。 |
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」 |
永禄3年 1560年 9月-日 |
織田信長が生駒家長に諸荷物馬1疋での国中往還を許す判物を発給する。 |
出典:永禄3年9月日付織田信長判物(『増訂織田信長文書の研究 上巻』27号(『生駒氏所蔵文書』)) |
永禄3年 1560年 10月8日 |
畠山高政の籠る飯盛山城(河内国)の後詰として香西元成、山中新左衛門、木沢新太郎が杉山口(山城国)に遣わされるが三好長慶勢に敗れる。 |
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」 |
永禄3年 1560年 10月12日 |
三好長慶勢が香西元成が在城していた炭山城(山城国)を攻める。元成は戦死する。 |
出典:- |
永禄3年 1560年 10月15日 |
根来寺衆の杉坊・岩室が率いる軍勢500が高屋城(河内国)の後詰としてやってくるが、高屋城を包囲する三好勢が打ち破る。 |
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」 |
永禄3年 1560年 10月17日 |
武田信玄が瑞泉寺(越中国)の内衆・上田藤右衛門に、長尾景虎が上野国に侵攻したので、北条氏康と示し合わせ景虎と交戦することを伝えるとともに、門徒衆と神保氏とで越後国に侵攻するように依頼する。 |
出典:(永禄3年)10月17日付武田信玄書状(『加能史料』14 永禄3年7月5日条5 「仏厳寺文書」) |
永禄3年 1560年 10月24日 |
飯盛山城(河内国)の安見宗房が城を三好長慶に明け渡し堺に逃れる。 高屋城(河内国)の畠山高政・遊佐信教が城を長慶に明け渡し堺に逃れる。 |
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」 |
永禄3年 1560年 11月5日 |
左大弁となる。 |
出典:『系図纂要』「葉室」 |
永禄3年 1560年 11月13日 |
畠山高政方の万歳大和守が降伏し万歳城(大和国)を松永久秀に明け渡す。 |
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」 |
永禄3年 1560年 11月13日 |
飯盛山城(河内国)に入城する。 三好実休が高屋城(河内国)に入城する。 |
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」 |
永禄3年 1560年 11月18日 |
畠山高政方の長谷の桜坊が降伏し城を松永久秀に明け渡す。 |
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」 |
永禄3年 1560年 11月24日 |
畠山高政方の澤・日の牧城が松永久秀に降伏する。 |
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」 |
永禄3年 1560年 12月6日 |
千宗易が催した茶会に北向道陳、宗達、今井宗久を招く。 |
出典:『今井宗久茶湯書抜』同年月日条 |
永禄3年 1560年 12月24日 |
尼子晴久が死去する。 |
出典:- |
永禄3年 1560年 -月-日 |
浅井長政が家臣の赤尾、丁野、百々、安養寺等と相談し、父・久政を隠居させ家督を相続し、妻の平井加賀守の娘と離縁する。 |
出典:『江濃記』「浅井出身事」 |
永禄3年 1560年 -月-日 |
松永久秀が信貴山城(大和国)を居城とする。 |
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」 |
永禄3年 1560年 -月-日 |
冷泉為豊が死去する。 |
出典:『系図纂要』「冷泉」 |
永禄3年 1560年 -月-日 |
榊原康政が大樹寺にて徳川家康に謁し、以降、家康に近侍するようになる。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第100「清和源氏 義家流 足利支流 榊原」「榊原康政」の項 |
永禄3年 1560年 -月-日 |
徳川家康が松平康元に麾下として金田宗房、高木正次、坂部勝之、平野弥角、吉田久兵衛を付ける。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第52「松平康元」の項 |
永禄3年? 1560?年 -月-日 |
今川氏真により山口教継が切腹する。 |
出典:- |
永禄4年 1561年 -月-日 |
福島正則が生まれる。 |
出典:- |
永禄4年 1561年 -月-日 |
保科正光が信濃国高遠にて生まれる。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第250「保科正光」の項 |