天文18年 1549年 3月9日 |
一色晴具が死去する。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第85「一色晴具」の項 |
天文18年 1549年 3月25日 |
権中納言となる。 |
出典:『系図纂要』「広橋」 |
天文18年 1549年 3月-日 |
細川晴元が三宅国村の三宅城(摂津国)を落とし在城する。 |
出典:『足利季世記』巻4「方浜合戦ノ事」 |
天文18年 1549年 3月-日 |
三好長慶が東寺に三好勢の乱入狼藉、山林竹木伐採、放火を停止する禁制を発給する。 |
出典:天文18年3月日付三好長慶禁制(「東寺百合文書」『戦国遺文 三好氏編』第1巻-225号) |
天文18年 1549年 3月-日 |
三好長慶が上鳥羽内上郷に三好勢の乱入狼藉、山林竹木伐採、放火を停止する禁制を発給する。 |
出典:天文18年3月日付三好長慶禁制(「集古文書」『戦国遺文 三好氏編』第1巻-226号) |
天文18年 1549年 3月-日 |
三好宗三が尼崎(摂津国)の本興寺・西門前に三好勢による乱妨狼藉、陣取り・寄宿、竹木伐採、矢銭・兵糧米の賦課を停止する禁制を発給する。 |
出典:天文18年3月日付三好宗三禁制(「本興寺文書」『戦国遺文 三好氏編』第1巻-224号) |
天文18年 1549年 3月-日 |
毛利元就、吉川元春、小早川隆景が山口(周防国)より吉田郡山城(安芸国)に帰城する。毛利隆元は山口に残る。 |
出典:『陰徳太平記』巻第17「毛利元就父子防州山口下向之事」 |
天文18年 1549年 4月5日 |
朝、下間頼次が津田宗達、榎興を招き茶会を催す。 |
出典:『宗及茶湯日記』「茶湯幷唐物拝見之事」同年月日条 |
天文18年 1549年 4月6日 |
朝、下間頼宗が津田宗達、源二郎、榎興を招き茶会を催す。 |
出典:『宗及茶湯日記』「茶湯幷唐物拝見之事」同年月日条 |
天文18年 1549年 4月7日 |
朝、下間頼次が津田宗達、榎興を招き茶会を催す。 |
出典:『宗及茶湯日記』「茶湯幷唐物拝見之事」同年月日条 |
天文18年 1549年 4月7日 |
昼、下間頼宗が津田宗達、源二郎、榎興を招き茶会を催す。 |
出典:『宗及茶湯日記』「茶湯幷唐物拝見之事」同年月日条 |
天文18年 1549年 4月12日 |
一条房基が死去する。 |
出典:『陰徳太平記』巻50「一条兼定卿御流離之事」 |
天文18年 1549年 4月-日 |
細川晴元が近江国に赴き、六角定頼と摂津攻めのことについてと談合する。 |
出典:『厳助大僧正記』同年同月条(『史籍集覧』25 近代デジタルライブラリー コマ番号178-208) |
天文18年 1549年 4月26日 |
筒井順昭が坂本(近江国)に赴く。道心と名乗り、延暦寺に赴く。 |
出典:『多聞院日記』同年5月6・18日条 |
天文18年 1549年 4月26日 |
細川晴元が摂津を攻めるにあたり丹波国を経由し塩川城(摂津国)に下向する。 六角定頼が晴元の摂津国攻めを援護するべく京都東山に軍勢を遣わす。 |
出典:『厳助大僧正記』同年同月条(『史籍集覧』25 近代デジタルライブラリー コマ番号178-208)、『足利季世記』巻4「川原合戦ノ事」 |
天文18年 1549年 4月28日 |
塩川城(摂津国)にいた細川晴元のもとに三好宗三が合流し、西宮(摂津国)を放火する。 |
出典:『足利季世記』巻4「川原合戦ノ事」 |
天文18年 1549年 4月29日 |
三好宗三、伊丹親興が尼崎(摂津国)を放火する。 |
出典:『足利季世記』巻4「川原合戦ノ事」 |
天文18年 1549年 4月-日 |
三好宗渭が京法花院に三好勢の乱入狼藉、竹木伐採、矢銭・兵糧米の賦課を停止する禁制を発給する。 |
出典:天文18年4月日付三好宗渭カ禁制(「妙顕寺文書」『戦国遺文 三好氏編』第1巻-229号) |
天文18年 1549年 4月-日 |
三好長慶が龍安寺に三好勢の乱入狼藉、山林竹木伐採、矢銭・兵糧米の賦課を停止する禁制を発給する。 |
出典:天文18年4月日付三好長慶禁制(「龍安寺文書」『戦国遺文 三好氏編』第1巻-228号) |
天文18年 1549年 5月1日 |
三好宗三が東富松城(摂津国)を攻めるが、城兵の抗戦により撤退する。 |
出典:『足利季世記』巻4「川原合戦ノ事」 |
天文18年 1549年 5月2日 |
三宅城(摂津国)の香西元成が三好長逸の守る芥川山城(摂津国)を攻撃するも敗れる。 |
出典:『足利季世記』巻4「川原合戦ノ事」 |
天文18年 1549年 5月5日 |
三好宗三が諸勢を率い三宅城(摂津国)に入る。 |
出典:『足利季世記』巻4「幡雲立事」 |
天文18年 1549年 5月9日 |
細川晴元の合力として岸和田兵衛大夫と木沢左京亮が河内国に攻め込むべく堺北荘に陣取るが、畠山・遊佐長教・三好長慶の軍勢に攻め込まれ敗走する。 |
出典:『足利季世記』巻4「幡雲立事」 |
天文18年 1549年 5月18日 |
筒井城(大和国)にて興福寺衆による信読経が行われる。これは、筒井城内にて奇異のことが多く起こったり、光る物が現れたり、狐が人々を悩ますためであるという。また、筒井順昭も狂気することがあるためだという。 |
出典:『多聞院日記』同年月日条 |
天文18年 1549年 5月27日 |
多賀社本願の祐尊が上人号勅許の礼として聖護院道増とともに参内する。 |
出典:『御湯殿上之記』同年月日条 |
天文18年 1549年 5月28日 |
細川晴元が一庫城(摂津国)より三宅城(摂津国)に入る。 |
出典:『足利季世記』巻4「幡雲立事」 |
天文18年 1549年 5月-日 |
三好長慶が大山崎に三好勢の乱入狼藉、山林竹木伐採、放火、山河殺生、矢銭・兵糧米の賦課、押買を停止する禁制を発給する。 |
出典:天文18年5月日付三好長慶禁制(「疋田家本離宮八幡宮文書」『戦国遺文 三好氏編』第1巻-231号) |
天文18年 1549年 5月-日 |
出家する。 |
出典:『歴名土代』 |
天文18年 1549年 6月4日 |
朝、椋宗理が津田宗達、盛田宗兵衛を招き茶会を催す。 |
出典:『宗及茶湯日記』「茶湯幷唐物拝見之事」同年月日条 |
天文18年 1549年 6月11日 |
早朝、三好宗三が榎並城(河内国)を出て江口に陣取る。これを受け三好長慶は、安宅冬康と十河一存を別府川に布陣させ三宅城(摂津国)との連絡を絶つ。 |
出典:『足利季世記』巻4「宗三出張ノ事」 |