永禄12年 1569年 4月23日 |
北条氏政が伊達輝宗に、武田信玄と交戦中であること、それにともない北条家に上杉謙信が一味することを伝える。 |
出典:(永禄12年)4月23日付北条氏政書状(『伊達家文書』1-270号) |
永禄12年 1569年 4月28日 |
薩埵山にて北条氏政と武田信玄が戦う。 武田信玄勢:米倉晴継(戦死)。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第169「米倉晴継」の項 |
永禄12年 1569年 5月3日 |
有馬豊氏が生まれる。 |
出典:- |
永禄12年 1569年 5月4日 |
十市城(大和国)は攻撃対象にならないとの和睦交渉がまとまる。 |
出典:『多聞院日記』同年月日条 |
永禄12年 1569年 5月5日 |
吉川元春、小早川隆景、宍戸隆家、熊谷信直等が率いる毛利勢の攻撃を受けている立花山城(筑前国)を救うべく、大友勢が同城の後詰めとして到着する。大友勢と毛利勢が戦う。 |
出典:『陰徳記』巻43「筑前国立花之城取囲事付大友勢後詰事」 |
永禄12年 1569年 5月10日 |
松永久秀・久通父子が貝吹城を攻める。柳本、織田左近名代ウタノ介が戦死する。 |
出典:『多聞院日記』同年月日条 |
永禄12年 1569年 5月18日 |
松永久秀・久通父子が井戸(大和国)に陣替えする。 |
出典:『多聞院日記』同年月日条 |
永禄12年 1569年 5月18日 |
立花山城(筑前国)近くで、吉川元春、小早川隆景、宍戸隆家、熊谷信直等が率いる毛利勢と戸次道雪率いる大友勢が戦う。 |
出典:『陰徳記』巻43「筑前国立花之城取囲事付大友勢後詰事」 |
永禄12年 1569年 5月20日 |
北条氏照が伊達輝宗に、4月24日、薩埵山にて武田信玄と戦い数百人を討ち取ったこと、北条家と上杉謙信との和睦が調いそうであることを伝える。 |
出典:(永禄12年)5月20日付北条氏照書状(『伊達家文書』1-269号) |
永禄12年 1569年 5月23日 |
多聞院英俊が井戸(大和国)の陣所にいる松永久秀のもとに見舞いに訪れ20疋を贈る。 |
出典:『多聞院日記』同年月日条 |
永禄12年 1569年 5月-日 |
松平家忠が馬伏塚砦に在番する。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第23「松平家忠」の項 |
永禄12年 1569年 5月-日 |
尼子勝久、山中幸盛、立原久綱、横道正光、横道高宗、真木宗右衛門、吉田三郎左衛門、吉田八郎左衛門、川副右京亮、川副三郎左衛門、川副次郎左衛門、目黒助次郎、米原助十郎、月坂助太郎、力石九郎兵衛、平野加兵衛、平野源助、宇山弥次郎、三吉五郎左衛門、三吉甚次郎、小林甚助、青砥助次郎、日野又五郎、大塚弥三郎、大野平兵衛、日野助五郎、福山内蔵允、中井与次郎、片桐治部丞、江美源内左衛門が隠岐国に到着する。 |
出典:『陰徳太平記』巻43「尼子勝久入雲州付松永霜台事」 |
永禄12年 1569年 閏5月7日 |
夜、井戸氏が松永久秀の陣所に夜襲をかけ、松永勢が損害を少し出す。 |
出典:『多聞院日記』同年月日条 |
永禄12年 1569年 閏5月9日 |
鞍馬寺戒光坊が山科言継のもとを訪れる。6月3日より三千燈勧進を行うことをうけ、言継は33燈分の奉加10疋(100文)を遣わす。 |
出典:『言継卿記』同年月日条 |
永禄12年 1569年 6月18日 |
日吉社社家 行丸が日乗のもとへ赴く。行丸は日乗のもとにやってきた山科言継に社頭修理のため本院執行代の申状と社家連署状をもって禁裏奉加奉加の綸旨発給を依頼する。日乗の口添えもあり、言継は長橋局に綸旨発給を申請する。 |
出典:『言継卿記』同年月日条 |
永禄12年 1569年 6月23日 |
尼子勝久が忠山(出雲国)に陣取る。 |
出典:『陰徳太平記』巻43「尼子勝久入雲州付松永霜台事」 |
永禄12年 1569年 7月2日 |
淀殿が生まれる。 |
出典:- |
永禄12年 1569年 7月5日 |
桂元澄が死去する。 |
出典:- |
永禄12年 1569年 7月18日 |
東大寺大仏の身体部分の鋳造すると聞いて万人が参詣する。 |
出典:『多聞院日記』同年月日条 |
永禄12年 1569年 7月22日 |
松永久秀が山中小大夫を攻める。 |
出典:『多聞院日記』同年月24日条 |
永禄12年 1569年 7月23日 |
松永久秀が山中小大夫の城を開城させる。その後、深川に軍勢を遣わす。 |
出典:『多聞院日記』同年月24日条 |
永禄12年 1569年 8月1日 |
織田信長が岐阜城下(美濃国)に滞在中の山科言継、今井宗久、江西、武井夕庵、松井友閑、島田弥右衛門、金余等を岐阜城の山城に案内し饗応する。饗応には信長も同席する。 |
出典:『言継卿記』同年月日条 |
永禄12年 1569年 8月3日 |
藤井道晧、大江田隼人佑が所原肥後守の守る杉原盛重の居城・神辺城(備後国)を攻め、同城を落とす。盛重の子・景盛は城より脱出する。 |
出典:『陰徳太平記』巻44「備後国神辺城合戦並防州関所城合戦之事」 |
永禄12年 1569年 8月7日 |
松永久秀が布施氏を攻める。 |
出典:『多聞院日記』同年9月7日条 |
永禄12年 1569年 8月10日 |
立花山城尾(筑前国)に在陣していた香川春継が、八木城(安芸国)・仁保島城に残していた香川勢を引き連れ高田城(美作国)に赴き、同城を包囲していた三浦・蘆田・玉串・市の美作国国人衆の軍勢と長船紀伊守・岡家利・岡剛助・沼本新右衛門等が率いる宇喜多勢を破って入城する。 |
出典:『陰徳太平記』巻44「作州高田城合戦之事」 |
永禄12年 1569年 8月11日 |
山科言継、烏丸が岐阜城下を見物する。 |
出典:『言継卿記』同年月日条 |
永禄12年 1569年 8月11日 |
安芸国虎が浄貞寺(土佐国)にて自害する。 |
出典:- |
永禄12年 1569年 8月12日 |
山科言継が岐阜城下(美濃国)の丹羽長秀のもとを訪れるが、長秀は眼病のため会わず。 |
出典:『言継卿記』同年月日条 |
永禄12年 1569年 8月12日 |
岐阜城下にいる勧修寺門跡のもとへ赴き雑談する。丹羽長秀のもとへ礼に赴くが、長秀が眼病のため会えず。林秀貞のもとへ礼に赴く。 |
出典:『言継卿記』同年月日条 |
永禄12年 1569年 8月12日 |
山科言継が岐阜城下の林秀貞のもとへ礼に赴く。 |
出典:『言継卿記』同年月日条 |