永禄12年 1569年 8月14日 |
岐阜城(美濃国)の織田信長のもとへ烏丸光康・光宣父子、山科言継、飛鳥井雅春が赴き暇乞いする。信長に鳥1、太刀(金作り)、馬代(金10両)、居唐金鉢を送る。信長の子・帰命(奇妙)に一本緞子1端(赤地)を送る。 |
出典:『言継卿記』同年月日条 |
永禄12年 1569年 8月20日 |
織田信長が伊勢国に侵攻するため軍勢80000をもって岐阜城(美濃国)を出陣する。桑名(伊勢国)に宿す。 |
出典:『多聞院日記』同年9月7日条、『信長公記』巻2(6)「阿坂の城退散の事」、『当代記』巻1同年月日条 |
永禄12年 1569年 8月20日 |
顕尊が本願寺門跡の脇門跡に補任される。 |
出典:『大谷本願寺通紀』巻2「証如」の項 |
永禄12年 1569年 8月20日 |
子・顕尊を本願寺門跡の脇門跡に補任してもらう。 |
出典:『大谷本願寺通紀』巻2「証如」の項 |
永禄12年 1569年 8月21日 |
織田信長が鷹狩をする。 |
出典:『信長公記』巻2(6)「阿坂の城退散の事」 |
永禄12年 1569年 8月22日 |
織田信長が白子観音寺(伊勢国)に着陣する。 |
出典:『信長公記』巻2(6)「阿坂の城退散の事」 |
永禄12年 1569年 8月23日 |
織田信長が木造(伊勢国)に着陣する。 |
出典:『信長公記』巻2(6)「阿坂の城退散の事」 |
永禄12年 1569年 8月26日 |
織田信長が、先陣を木下秀吉として阿坂城(伊勢国)を攻め、城を落とする。阿坂城に滝川一益を置く。 |
出典:『信長公記』巻2(6)「阿坂の城退散の事」 |
永禄12年 1569年 8月28日 |
織田信長が北畠具教の大河内城(伊勢国)を包囲する。城の南に織田信包、滝川一益、織田忠寛、稲葉良通、池田恒興、和田新介、中島豊後、進藤賢盛、後藤高治、蒲生賢秀、永原筑前、永田景弘、青地茂綱、山岡景隆、山岡景猶、丹羽長秀が、城の西に木下秀吉、氏家直元、安藤守就、飯沼長資、佐久間信盛、市橋長利、塚本小大膳が、城の東に柴田勝家、森可成、山田勝盛、長谷川与次、佐々成政、佐々政次、梶原景久、不破光治、丸毛長照、丹羽源六、不破直光、丸毛兼利が布陣する。尺限廻番衆を前田利家がつとめる。 |
出典:『信長公記』巻2(7)「大河内国司退城の事」 |
永禄12年 1569年 8月29日 |
武田信玄が安房国への使者を勤めることになった覚円房に対し、無事帰国したならば甲斐国山伏年行事職の補任と家1軒の諸役免除を約す。 |
出典:永禄12年8月29日付武田信玄判物(『山梨県史』資料編5「武田文書 二」202号) |
永禄12年 1569年 9月1日 |
体調を崩す。 |
出典:『多聞院日記』同年月日条 |
永禄12年 1569年 9月4日 |
松永久秀が井戸(大和国)に帰陣する。 |
出典:『多聞院日記』同年9月7日条 |
永禄12年 1569年 9月6日 |
松永久通、竹内秀勝が伊勢国に攻め入った織田信長のもとへ見舞いに赴くべく大和国を出立しようとするが甲賀衆・伊賀惣国の蜂起につき10日に延期となる。 |
出典:『多聞院日記』同年月7日条 |
永禄12年 1569年 9月8日 |
織田信長が稲葉良通、丹羽長秀、池田恒興に大河内城(伊勢国)の夜襲を命じられる。良通等は西搦手を夜攻めする。 |
出典:『信長公記』巻2(7)「大河内国司退城の事」 |
永禄12年 1569年 9月9日 |
滝川一益が多芸谷にある北畠具教の国司館を焼き討ちする。 |
出典:『信長公記』巻2(7)「大河内国司退城の事」 |
永禄12年 1569年 9月10日 |
御獄(武蔵国)にて武田信玄と藤田氏邦が戦う。 |
出典:(永禄12年)9月10日付藤田氏邦書状(『上杉家文書』1-582号) |
永禄12年 1569年 9月10日 |
武田信玄が藤田氏邦の籠る鉢形城(武蔵国)を攻める。氏邦が信玄勢を退ける。 |
出典:(永禄12年)9月10日付藤田氏邦書状(『上杉家文書』1-582号) |
永禄12年 1569年 -月-日 |
吉岡長増が大友宗麟に対し、周防国を大内輝弘に攻めさせるよう提案する。宗麟は長増の提案を容れ、輝弘に軍勢をつける。 |
出典:『陰徳太平記』巻44「大内太郎左衛門尉輝弘山口入之事」 |
永禄12年 1569年 9月11日 |
大内輝弘が軍勢を率い秋穂(周防国)に入る。 |
出典:『陰徳太平記』巻44「大内太郎左衛門尉輝弘山口入之事」 |
永禄12年 1569年 9月13日 |
大内輝弘が軍勢を率い山口(周防国)に入る。 |
出典:『陰徳太平記』巻44「大内太郎左衛門尉輝弘山口入之事」 |
永禄12年 1569年 9月14日 |
山口(周防国)に陣取る大内輝弘のもとに諸勢が集まる。 |
出典:『陰徳太平記』巻44「大内太郎左衛門尉輝弘山口入之事」 |
永禄12年 1569年 10月3日 |
織田信長が北畠具教の大河内城(伊勢国)を落とす。 |
出典:『多聞院日記』同年月5日条 |
永禄12年 1569年 10月4日 |
織田信長が伊勢国における諸関を免除する。 |
出典:『信長公記』巻2「関役所御免除の事」 |
永禄12年 1569年 10月4日 |
織田忠寛、滝川一益が大河内城(伊勢国)を受け取る。 |
出典:『信長公記』巻2(7)「大河内国司退城の事」 |
永禄12年 1569年 10月4日 |
武田信玄が北条氏康・北条氏政父子の籠る小田原城(相模国)の攻略を諦め、同地より撤退する。 |
出典:(永禄12年)10月16日付北条氏康書状(『上杉家文書』1-585号) |
永禄12年 1569年 10月5日 |
織田信長が伊勢神宮に参詣する。伊勢御師 堤源介邸を宿所とする。 |
出典:『信長公記』巻2「伊勢御参空の事」 |
永禄12年 1569年 10月5日 |
玉串昭則、牧清冬の美作国衆勢1000が香川光景・広景・春継の籠る高田城(美作国)を攻める。香川勢が美作国衆勢を退ける。 |
出典:『陰徳太平記』巻44「作州高田城合戦之事」 |
永禄12年 1569年 10月6日 |
玉串昭則、牧清冬、長船紀伊守・岡家利・岡剛助・沼本新右衛門等が率いる宇喜多勢が香川光景・広景・春継の籠る高田城(美作国)を攻める。春継が昭則を討ち取り、美作国衆勢・宇喜多勢は引き上げる。 |
出典:『陰徳太平記』巻44「作州高田城合戦之事」 |
永禄12年 1569年 10月6日 |
織田信長が伊勢内宮・下宮・朝熊山に参詣する。 |
出典:『信長公記』巻2「伊勢御参空の事」 |
永禄12年 1569年 10月8日 |
織田信長が大河内城(伊勢国)に子・茶筅を入れ、津田掃部を添え置く。安濃津城(伊勢国)・渋見城(伊勢国)・小造城(伊勢国)に滝川一益を入れ置く。伊勢国上野城に織田信包を入れ置く。伊勢国攻めの諸部隊を解散する。 |
出典:『信長公記』巻2「伊勢御参空の事」 |