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史料にみえる人物の呼称
石高から軍役算出
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人 物 史
三好房一
みよし ふさかず
生 没 年
天文23年(1554)-慶長19年(1614)7/12
出 身
-
幼 名
-
別 称
新右衛門、新右衛門尉
法 名
道印
戒 名
-
父
三好長房
母
-
兄 弟 姉 妹
三好房一
配 偶 者
-
子
三好長直
官 位
丹後守
役 職
-
城 郭
-
参 考 文 献
-
関 連 デ ー タ
○
史料にみえる三好房一の呼称
三好房一 年表
天文23年 1554年 -月-日 1歳
三好房一
が生まれる。
出典:-
弘治1年 1555年 10月23日 2歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
出典:-
弘治4年 1558年 2月28日 5歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
出典:-
永禄7年 1564年 7月24日 11歳
三好長慶
が死去する。養子・
義継
が幼齢であるとして長慶の死は秘匿される。
出典:『足利季世記』巻6「冬康生害之事」
元亀1年 1570年 4月23日 17歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-
天正1年 1573年 7月28日 20歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-
天正1年 1573年 11月-日 20歳
織田信長
の命をうけた
佐久間信盛
が
三好義継
の籠る
若江城
(河内国)を攻める。
織田信長勢:佐久間信盛[大将]、
松井康之
。
三好義継勢:三好義継[大将]、金山武春、多羅尾右近、池田教正、野間佐吉、那須久右衛門、岡飛騨守、江川。
出典:『信長公記』巻6(18)(「三好左京大夫謀反の事」)、『綿考輯録』巻2
天正1年 1573年 11月-日 20歳
佐久間信盛
が
三好義継
の籠る
若江城
(河内国)を攻める。
織田信長勢:佐久間信盛[大将]、
松井康之
。
三好義継勢:三好義継[大将]、金山武春、多羅尾右近、池田教正、野間佐吉、那須久右衛門、岡飛騨守、江川
義継家臣の多羅尾右近・池田教正・野間佐吉が信盛に内通し、金山武春を殺害して、
若江城
(河内国)城内に織田勢を引き入れる。
出典:『信長公記』巻6(18)(「三好左京大夫謀反の事」)
天正1年 1573年 11月16日 20歳
若江城
(河内国)にて
三好義継
が自害する。那須久右衛門、岡飛騨守、江川が殉死する。
出典:『信長公記』巻6(18)(「三好左京大夫謀反の事」)
天正10年 1582年 6月2日 29歳
本能寺
に宿泊中の
織田信長
を、早朝、
明智光秀
が襲撃する。信長は自害する。また、光秀は二条殿に籠城する
織田信忠
とその小姓勢を討ち取る。
信長勢:
森成利
(戦死)、
福富秀勝
(戦死)、
野々村正成
(戦死)。
信忠勢:
村井貞勝
(戦死)、
菅屋長頼
(戦死)、
織田信房
(戦死)、
団忠正
(戦死)。
出典:『多聞院日記』同年月日・3日条
文禄1年 1592年 12月8日 39歳
「天正」より「文禄」に年号が改まる。
出典:-
慶長1年 1596年 10月27日 43歳
「文禄」より「慶長」に元号が改まる。
出典:-
慶長3年 1598年 8月18日 45歳
豊臣秀吉
が死去する。
出典:『当代記』巻3同年月日条
慶長5年 1600年 6月16日 47歳
徳川家康
が
大坂城
(摂津国)を発し、
伏見城
(山城国)に到着する。
織田有楽斎
・長孝父子、
山名禅高
、
金森長近
・
可重
父子、山岡景友、
池田輝政
、
池田長吉
、
福島正則
・
高晴
兄弟、
浅野幸長
、
黒田長政
、
細川忠興
、
藤堂高虎
、有馬則頼・
豊氏
父子、
筒井定次
、徳永寿昌・昌重父子、生駒一正、
田中吉政
、
蜂須賀至鎮
、
小出吉政
、中村一栄、
山内一豊
、
堀尾吉晴
・忠氏父子、
一柳直盛
、津田信成、津田小平次、
富田信高
、古田重勝、稲葉道通、
古田重然>、市橋長勝、
九鬼守隆
、桑山相模守、亀井茲矩、
寺沢広高
、
石川康長
、天野雄光、奥平貞治、河村助左衛門、山城秀宗、佐藤信元、赤井五郎八、岡田助右衛門、
丹羽氏次
、
遠藤慶隆
、西尾光教、中川忠勝、三好為三、
大島光義
、長谷川重成、
兼松正吉
、
三好房一
、
船越景直
、平野長重、池田光重、佐々顕政、平田若狭守、落合顕公、
森可政
、清水小八郎、松波秋徳、佐久間安政、佐久間勝之、祖父江法斎、鈴木重慶、溝口政一、堀田重国、
戸川達安
、
宇喜多詮家
、野間秋弘、伊丹忠親、別所孫四郎、本田周防守、松倉重政、村越兵庫頭、神保相茂、秋山右近、野尻彦次郎、仙石式部少輔、
分部光嘉
、極楽院、水野河内守、佐々喜三郎、山岡修理亮、岡田少五郎、箸尾半左衛門が家康に従う。総勢55800。
出典:『義演准后日記』同年月日条、『黒田家譜』巻9「長政記」、『当代記』巻3同年月日条
慶長5年 1600年 7月2日 47歳
徳川家康
が
江戸城
(武蔵国)に到着する。
出典:『当代記』巻3同年月日条、『黒田家譜』巻9「長政記」、『関原始末記』
慶長8年 1603年 2月12日 50歳
朝廷にて
徳川家康
の征夷大将軍就任および右大臣転任についての陣儀が行われる。家康を淳和奨学院別当、源氏長者、牛車兵杖等に宣下することに決まる。陣儀の上卿が伏見の家康邸に赴き、家康に征夷大将軍就任の旨を言い渡し、家康が征夷大将軍となる。
池田輝政
が右近衛少将に、
板倉勝重
が従五位下・伊賀守に叙位・任官。
出典:『慶長日件録』同年月日条、『当代記』巻3同年月日条
慶長10年 1605年 4月16日 52歳
徳川秀忠
が征夷大将軍宣下を受ける。
板倉重宗
が従五位下・周防守に叙位・任官。
出典:『義演准后日記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第81「板倉重宗」の項
慶長17年 1612年 8月21日 59歳
徳川家康
が日野輝資、
山名禅高
、
藤堂高虎
、三好因幡守、
三好房一
、本多一継、池田光重に料理と茶を振る舞う。
出典:『駿府記』同年月日条
慶長18年 1613年 1月1日 60歳
徳川秀忠
の名代(
酒井家次
・大沢基宿)、
松平忠直
、
松平忠輝
、松平和泉守、松平玄蕃頭、
松平忠利
、
水野忠元
、
本多康俊
、
本多康紀
、戸田尊次、三好因幡守、
戸川達安
、
三好房一
、松倉重政、水野重弘、桑山一直、本田一継、池田光重、
堀直寄
、滝川忠征、佐久間政実、市橋下総守、山城忠久、桑山貞晴、岡家俊、
宮城豊盛
、能勢頼次、近藤政成、徳永昌重、山岡景以、分部光信、朽木宣綱、川勝広綱、猪子一時、別所吉治が
駿府城
(駿河国)にいる
徳川家康
に年始の礼をする。
出典:『駿府記』同年月日条
慶長19年 1614年 6月16日 61歳
巳刻(9-11時)、
駿府城
(駿河国)南殿にて嘉定が行われる。
徳川家康
、
徳川義利
、
徳川頼宣
、
徳川頼房
、
日野唯心
、伝長老、冷泉中納言、
水無瀬一斎
、大沢少将、
山名禅高
、佐々木中務少輔、畠山長門守、土岐左馬助、土岐市正、三好因幡守、
三好房一
、猪子内内匠助、本田若狭守、徳永左馬助、
戸川達安
、市橋下総守、
堀直寄
等が出席する。配膳は西尾丹後守。
出典:『駿府記』同年月日条
慶長19年 1614年 7月12日 61歳
三好房一
が死去する。
出典:『駿府記』同年月13日条
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