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総年表


弘治3年 1557年 2月15日
秋鹿朝延が中泉(遠江国)にて死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第965「秋鹿朝延」の項

弘治3年 1557年 3月2日
毛利元就隆元吉川元春小早川隆景父子が防府(周防国)に陣取る。
出典:『言延覚書』(米原正義校注『第二期 戦国史料叢書 7 中国史料集』人物往来社、1966年)

弘治3年 1557年 3月2日
杉重輔が陶長英の籠る若山城(周防国)を攻め、同城を落とす。長房・貞明兄弟が自害する。
出典:-

弘治3年 1557年 4月3日
大内義長が死去する。
出典:-

弘治3年 1557年 4月28日
夜、上京で火事が起こり、立売町など400間が焼失する。近衛邸も炎上する。
出典:『厳助往年記』同年月日条

弘治3年 1557年 6月18日
毛利元就厳島神社(安芸国宮島)にて万部経法会を執行する。
出典:『二宮佐渡覚書』(米原正義校注『第二期 戦国史料叢書 7 中国史料集』人物往来社、1966年 所収)

弘治3年 1557年 7月8日
笠原信為が死去する。
出典:-

弘治3年 1557年 7月12日
佐伯惟教・戸次鑑連高橋鑑種・臼杵鑑速・田北・朽網・志賀・吉弘・吉岡・田村・小原率いる大友勢20000が秋月文種の籠る古処山城(筑前国)を攻め、同城を落とす。文種は自害する。文種の子・種実は城より脱出する。
出典:『陰徳太平記』巻31「秋月文種切腹付筑紫惟門退防州事」

弘治3年 1557年 8月26日
大風および大雨によりの尼崎・別所・島尾・今津・西宮・兵庫・灘(以上、摂津国)・明石(播磨国)に津波が起こる。
出典:『足利季世記』巻5「千部経ノ事」

弘治3年 1557年 9月2日
内大臣となる。
出典:『系図纂要』「広橋」

弘治3年 1557年 9月5日
出家し、釣寂と号す。
出典:『系図纂要』「広橋」

弘治3年 1557年 -月-日
従五位下に叙される。
出典:『系図纂要』「薄」

弘治3年 1557年 -月-日
山名理興が死去する。
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永禄1年 1558年 -月-日
織田信雄が生まれる。
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永禄1年 1558年 -月-日
葉室定藤が生まれる。
出典:『系図纂要』「葉室」

永禄1年 1558年 -月-日
広瀬兼勝が生まれる。
出典:『系図纂要』「広橋」

永禄1年 1558年 -月-日
別所長治が生まれる。
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永禄1年 1558年 -月-日
森長可尾張国蓮台にて生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第126「森長一」の項

永禄1年 1558年 -月-日
大友義統が生まれる。
出典:-

永禄1年 1558年 -月-日
毛受勝照尾張国春日井郡稲葉村にて生まれる。
出典:-

永禄1年 1558年 -月-日
蜂須賀家政尾張国丹羽郡宮後村にて生まれる。
出典:『系図纂要』「蜂須賀家」

永禄1年 1558年 -月-日
金森可重が生まれる。
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永禄1年 1558年 -月-日
川上忠堅が生まれる。
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永禄1年 1558年 -月-日
村上景親が生まれる。
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永禄1年 1558年 -月-日
亀田高俊が生まれる。
出典:-

永禄1年 1558年 -月-日
仁賀保挙晴が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第205「仁賀保挙晴」の項にみえる没年・享年記載を逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第205「仁賀保挙晴」の項

弘治4年 1558年 1月5日
朝、千宗易、北向道陳、今井宗久三好物外軒の茶会に参会する。
出典:『今井宗久茶湯書抜』同年月日条

弘治4年 1558年 2月3日
細川聡明丸が芥川山城(摂津国)にて元服し細川六郎となる。
出典:『足利季世記』巻5「千部経ノ事」

弘治4年 1558年 2月5日
山科言経が京都に住む山伏・石見 慶春(経舜)に多賀社への代参月詣を依頼する。
出典:『言継卿記』同年月日条

弘治4年 1558年 2月5日
徳川家康が鈴木重辰の籠る寺部城(三河国)を攻める。攻め衆石川家成
出典:『寛政重修諸家譜』巻第118「清和源氏 義時流 石川」「石川家成」の項

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