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弘治2年 1556年 4月20日
長良川(美濃国)にて父・道三と兄・義龍が戦い、道三が戦死する。
出典:-

弘治2年 1556年 4月-日
松永長頼が宇治橋を新たに架ける。
出典:『厳助往年記』同年月日条

弘治2年 1556年 5月-日
松永長頼が宇津氏を討つため丹波国に入部する。
出典:『厳助往年記』同年月日条

弘治2年 1556年 6月5日
足利義輝六角義賢を介して本願寺顕如に一向一揆と対立している朝倉義景と和睦するよう命じる使者を遣わす。
出典:『私心記』同年月日条

弘治2年 1556年 6月23日
安井宗運が 柳町(堺の北端)の東面、経王寺の前に宿泊する。
出典:(弘治2年)6月23日付安井宗運書状(『戦国遺文三好氏編』第1巻-参考40「東寺百合文書」)

弘治2年 1556年 7月12日
民部卿となる。
出典:『系図纂要』「冷泉」

弘治2年 1556年 7月-日
安見宗房が布施氏を退治すべく大和国に攻め入り所々を放火する。
出典:『厳助往年記』同年月条

弘治2年 1556年 8月24日
稲生(尾張国)にて織田信長織田信行が戦い、信長が勝利する。
織田信長勢:織田信長[大将]、森可成、佐久間盛重、佐久間信盛丹羽長秀前田利家渥美友勝
織田信行勢:織田信行[大将]、林秀貞柴田勝家
出典:『寛政重修諸家譜』巻第961「渥美友勝」の項

弘治2年 1556年 9月8日
真田幸綱・小山田虎満が東天飾城(信濃国)を攻め、同城を落とす。
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弘治2年 1556年 10月28日
毛利隆元熊谷信直に安芸国西条の内上阿土50貫文の地、同国熊野の内50貫文の地、安芸国小方村の内100貫文の地を給付する。奉書発給者は赤川元保、粟屋元親、国司元相。
出典:弘治2年10月28日付毛利家奉行人連署奉書(『大日本古文書』家わけ14「熊谷家文書」132号)

弘治2年 1556年 10月-日
三好長慶が禁裏の四方の築地等を修築するため、洛中の上京下京に棟別銭を賦課する。奉行は結城進斎。
出典:『厳助往年記』同年月条

弘治2年 1556年 11月1日
二条昭実が生まれる。
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弘治2年 1556年 11月1日
子・昭実が生まれる。
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弘治2年 1556年 -月-日
子・氏郷が生まれる。
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弘治2年 1556年 -月-日
孫・氏郷が生まれる。
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弘治2年 1556年 -月-日
子・長重が生まれる。
『南海通紀』巻10「阿州河島合戦記」に天正元年(1573)に18歳とみえることから逆算。
出典:『南海通紀』巻10「阿州河島合戦記」

弘治2年 1556年 -月-日
柴田勝家福谷城(三河国)を攻め、酒井忠次と戦う。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第65「酒井忠次」の項

弘治2年 1556年 -月-日
折井次昌武田信玄に出仕する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第166「折井次昌」の項

弘治3年 1557年 -月-日
向井正綱が生まれる。
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弘治3年 1557年 -月-日
畠山貞政が生まれる。
『寛政重修諸家譜』巻第98「清和源氏 義家流 足利支流 畠山」「畠山貞政」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第98「清和源氏 義家流 足利支流 畠山」「畠山貞政」の項

弘治3年 1557年 -月-日
福留新六郎が生まれる。
福富半右衛門親政法名浄安覚書』に勝端合戦(天正10年 1582年)で戦死し、享年26歳と記載されていることから逆算して弘治3年(1557)を生年とした。
出典:『福富半右衛門親政法名浄安覚書

弘治3年 1557年 -月-日
柴田勝政が生まれる。
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弘治3年 1557年 -月-日
安藤重信が三河国にて生まれる。
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弘治3年 1557年 -月-日
油川信貞が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第147「油川信貞」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第147「油川信貞」の項

弘治3年 1557年 -月-日
駒井昌長が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第157「駒井昌長」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第157「駒井昌長」の項

弘治3年 1557年 -月-日
藤懸永勝が生まれる。
出典:-

弘治3年 1557年 -月-日
鳴海寿世が死去する。
*『寛政重修諸家譜』巻第205「鳴海寿世」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第205「鳴海寿世」の項

弘治3年 1557年 1月7日
本願寺顕如が如春尼を娶る。
出典:『厳助大僧正記』同年月日条

弘治3年 1557年 1月10日
福原広俊が死去する。
出典:-

弘治3年 1557年 2月6日
菅元重が妙勝寺(淡路国)に瓦葺修理免として田地1段(辻堂前の田地)を永代寄進する。
出典:弘治3年2月6日付菅元重書下(『戦国遺文三好氏編』第1巻-462号「妙勝寺文書」)

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