天正6年 1578年 9月9日 |
織田信忠・北畠信雄兄弟が安土城(近江国)にて相撲を見物する。 |
出典:『信長公記』巻11(10)「小相撲の事」 |
天正6年 1578年 9月9日 |
松平家忠が白須賀(遠江国)より岡崎(三河国)まで帰陣する。 |
出典:『家忠日記』同年月日条 |
天正6年 1578年 9月10日 |
松平信康が田原(三河国)にて鹿狩りをする。 |
出典:『家忠日記』同年月日条 |
天正6年 1578年 9月11日 |
坂本(近江国)にいる明智光秀のもとに吉田兼見が礼として訪れる。兼見は光秀に菓子を贈る。光秀が兼見所有の茶碗を所望し、兼見より茶碗を譲り受ける。 |
出典:『兼見卿記』同年月日条 |
天正6年 1578年 9月11日 |
筒井順慶が春日社に参詣する。 |
出典:『多聞院日記』同年月日条 |
天正6年 1578年 9月12日 |
細川藤孝が吉田兼見のもとを訪れる。 |
出典:『兼見卿記』同年月日条 |
天正6年 1578年 9月12日 |
徳川家康が浜松城(遠江国)より岡崎城(三河国)に赴く。 |
出典:『家忠日記』同年月日条 |
天正6年 1578年 9月14日 |
徳川家康が岡崎城(三河国)より浜松城(遠江国)に帰城する。 |
出典:『家忠日記』同年月日条 |
天正6年 1578年 9月15日 |
松平家忠が白須賀(遠江国)より深溝城(三河国)に帰城する。 |
出典:『家忠日記』同年月日条 |
天正6年 1578年 9月21日 |
松平家忠が岡崎城(三河国)に赴く。 |
出典:『家忠日記』同年月日条 |
天正6年 1578年 9月22日 |
徳川家康が酒井忠次を通じて、国衆に岡崎城(三河国)詰めは無用であると言い渡す。 |
出典:『家忠日記』同年月日条 |
天正6年 1578年 9月23日 |
織田信長が上洛するため安土城(近江国)を出立し、瀬田(近江国)の山岡景隆所に宿泊する。 |
出典:『信長公記』巻11(11)「大船堺津にて御見物の事」 |
天正6年 1578年 9月24日 |
辰刻(7-9時)、織田信長が上洛し、二条御新造に到着する。 太田保(越中国)の椎名小四郎、河田長親を攻めるため斎藤利治を遣わす。 |
出典:『兼見卿記』同年月日条、『晴豊記』同年月日条、『信長公記』巻11(11)「大船堺津にて御見物の事」 |
天正6年 1578年 9月24日 |
上洛した織田信長の迎えに赴く。 晴豊、甘露寺経元が立本寺に赴く。 |
出典:『晴豊記』同年月日条 |
天正6年 1578年 9月24日 |
勧修寺晴豊、甘露寺経元が立本寺に赴く。 |
出典:『晴豊記』同年月日条 |
天正6年 1578年 9月24日 |
細工人が松平家忠のもとを訪れ、母衣の芯を作る。 |
出典:『家忠日記』同年月日条 |
天正6年 1578年 9月25日 |
徳川家康より国衆に通達されていた国衆の岡崎城(三河国)詰め無用の件について、石川数正・平岩親吉が、松平家忠に在所(深溝(三河国)に帰るよう伝える。 |
出典:『家忠日記』同年月日条 |
天正6年 1578年 9月26日 |
徳川家康より国衆に通達されていた国衆の岡崎城(三河国)詰め無用の件につき、松平家忠が妻女をともない深溝(三河国)に帰る。 |
出典:『家忠日記』同年月日条 |
天正6年 1578年 9月27日 |
織田信長が九鬼嘉隆の大船を見物するため、京都を発ち、八幡に宿泊する。 |
出典:『信長公記』巻11(11)「大船堺津にて御見物の事」 |
天正6年 1578年 9月28日 |
大場口にて上杉景勝と上杉景虎が戦う。景勝方として新発田重家・河田軍兵衛が景虎勢に攻め入る。 |
出典:(天正6年)9月28日付上杉景勝感状(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』1685号) |
天正6年 1578年 9月28日 |
織田信長が八幡を発ち若江(河内国)に到着する。 |
出典:『信長公記』巻11(11)「大船堺津にて御見物の事」 |
天正6年 1578年 9月28日 |
村井貞勝が洪水により破損した山中路の道普請を東山十ヶ郷に命じる。 |
出典:『兼見卿記』同年月日条 |
天正6年 1578年 9月29日 |
早朝、織田信長が天王寺に到着。佐久間信盛のところにて休息。その後、鷹狩をしながら住吉神社に移る。 |
出典:『信長公記』巻11(11)「大船堺津にて御見物の事」 |
天正6年 1578年 9月30日 |
織田信長が堺に到着する。近衛前久、細川、一色が同道。九鬼嘉隆の大船を見物する。今井宗久のもとに茶を飲み、帰る途中、宗養・宗及・道昵の私宅にも寄る。住吉神社に帰る。住吉神社にて嘉隆を召し黄金10・服・ばくろう2折を与え、かつ1000人ずつ扶持を与える。また、犬飼助三・渡辺佐内・伊藤孫大夫の3人に黄金3枚と服を与える。 |
出典:『信長公記』巻11(11)「大船堺津にて御見物の事」 |
天正6年 1578年 9月30日 |
根来寺で火災が発生し700家程が焼失する。 |
出典:『多聞院日記』同年月日条 |
天正6年 1578年 9月-日 |
明智光秀が円通寺に明智勢の乱妨狼藉、陣取り・放火、竹木伐採を停止する禁制を発給する。 |
出典:天正6年9月日明智光秀禁制 |
天正6年 1578年 9月-日 |
津田信澄、滝川一益、明智光秀、細川藤孝・忠興父子が長沢義遠の籠る小山城を攻める。 |
出典:『綿考輯録』巻3 |
天正6年 1578年 9月-日 |
小山城攻めに細川藤孝勢として参加する。 |
出典:『綿考輯録』巻3 |
天正6年 1578年 10月1日 |
織田信長が住吉神社から河内国を経由し京都に戻る。安見新七郎のもとで休息する。二条御新造に宿泊する。 |
出典:『信長公記』巻11(11)「大船堺津にて御見物の事」 |
天正6年 1578年 10月2日 |
織田信長が信長留守中に女房衆が遊興に耽ったとして重伝と女房のさいを成敗する。 |
出典:『兼見卿記』同年月日条 |