人 物 史

氏家直元 うじいえ なおもと
生 没 年永正9年(1512)-元亀2年(1571)5/16
出 身美濃国幼 名-
別 称友国、貫心斎
法 名卜全
戒 名大常院安応卜全大居士
氏家行隆長井利隆の娘
兄 弟 姉 妹-
配 偶 者-
氏家直昌、氏家行広、氏家行継
官 位常陸守
役 職-
城 郭大垣城(美濃国)
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ氏家直元の関連文化財
氏家直元 年表
永正9年? 1512?年 -月-日 1歳
氏家直元が生まれる。
出典:-

大永1年 1521年 8月23日 10歳
「永正」より「大永」に年号が改まる。
出典:-

享禄1年 1528年 8月20日 17歳
「大永」より「享禄」に年号が改まる。
出典:-

天文1年 1532年 7月29日 21歳
「享禄」より「天文」に年号が改まる。
出典:-

弘治1年 1555年 10月23日 44歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
出典:-

弘治2年 1556年 4月18日 45歳
斎藤道三が鶴山(美濃国)に陣取る。斎藤義龍が乾に陣取る。
出典:『江濃記』「道三最後之事」

弘治2年 1556年 4月20日 45歳
長良川(美濃国)にて斎藤道三斎藤義龍が戦い、道三が戦死する。
出典:-

弘治4年 1558年 2月28日 47歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
出典:-

永禄4年 1561年 5月11日 50歳
斎藤義龍が死去する。
出典:-

永禄4年 1561年 5月14日 50歳
森部の合戦にて織田信長斎藤龍興が戦う。
出典:『信長公記』首巻(36)「もりべ合戦の事」

永禄4年 1561年 5月23日 50歳
十四条の合戦にて織田信長斎藤龍興が戦う。
出典:『信長公記』首巻(37)「十四条合戦の事」

永禄10年 1567年 8月1日 56歳
稲葉良通氏家卜全安藤守就織田信長に降伏する。
出典:『信長公記』首巻(44)「いなは山御取り候事」

永禄11年 1568年 7月25日 57歳
織田信長足利義昭を立政寺(美濃国)に迎える。
出典:『足利季世記』巻7「信長出張之事」、『綿考輯録』巻1、『当代記』巻1同年月日条

永禄11年 1568年 7月27日 57歳
立政寺(美濃国)にて織田信長足利義昭に謁す。
出典:『綿考輯録』巻1、『当代記』巻1同年月日条

永禄11年 1568年 9月7日 57歳
織田信長岐阜城(美濃国)より出陣する。平尾村(美濃国)に陣取る。
出典:『信長公記』巻1(4)「信長公御入洛十余日の内に五畿内隣国仰付けられ、征夷将軍に備へらるゝの事」、『当代記』巻1同年月日条

永禄11年 1568年 9月8日 57歳
織田信長が高宮(近江国)に陣取る(『信』)。愛知川(近江国)の近郷を焼き払う(『足』)。
出典:『信長公記』巻1(4)「信長公御入洛十余日の内に五畿内隣国仰付けられ、征夷将軍に備へらるゝの事」、『足利季世記』巻7「信長出張之事」

永禄11年 1568年 9月12日 57歳
織田安房守、林秀貞氏家直元、平手汎秀、稲葉良通安藤守就蜂屋頼隆不破光治の軍勢7000が和田山城(近江国)に対峙する。
出典:『綿考輯録』巻1

永禄12年 1569年 8月20日 58歳
織田信長が伊勢国に侵攻するため軍勢80000をもって岐阜城(美濃国)を出陣する。桑名(伊勢国)に宿す。
出典:『多聞院日記』同年9月7日条、『信長公記』巻2(6)「阿坂の城退散の事」、『当代記』巻1同年月日条

永禄12年 1569年 8月28日 58歳
織田信長北畠具教大河内城(伊勢国)を包囲する。城の南に織田信包滝川一益、織田忠寛、稲葉良通池田恒興、和田新介、中島豊後、進藤賢盛、後藤高治、蒲生賢秀、永原筑前、永田景弘、青地茂綱、山岡景隆山岡景猶丹羽長秀が、城の西に木下秀吉氏家直元安藤守就、飯沼長資、佐久間信盛、市橋長利、塚本小大膳が、城の東に柴田勝家森可成、山田勝盛、長谷川与次佐々成政、佐々政次、梶原景久、不破光治丸毛長照、丹羽源六、不破直光、丸毛兼利が布陣する。尺限廻番衆を前田利家がつとめる。
出典:『信長公記』巻2(7)「大河内国司退城の事」

永禄12年 1569年 10月3日 58歳
織田信長北畠具教大河内城(伊勢国)を落とす。
出典:『多聞院日記』同年月5日条

永禄12年 1569年 10月8日 58歳
織田信長大河内城(伊勢国)に子・茶筅を入れ、津田掃部を添え置く。安濃津城(伊勢国)・渋見城(伊勢国)・小造城(伊勢国)に滝川一益を入れ置く。伊勢国上野城に織田信包を入れ置く。伊勢国攻めの諸部隊を解散する。
出典:『信長公記』巻2「伊勢御参空の事」

元亀1年 1570年 4月23日 59歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

元亀1年 1570年 9月25日 59歳
織田信長が比叡山の麓にあって香取屋敷を丈夫に拵える。平手汎秀、長谷川与次、山田三左衛門、不破光治丸毛長照、浅井新八、丹羽源六、水野大膳に穴太(近江国)にて砦の普請を命じ、簗田広正川尻秀隆佐々成政、塚本小大膳、明智光秀、苗木久兵衛、村井貞勝佐久間信盛、進藤山城守、後藤喜三郎、多賀常則、梶原平次郎、永井雅楽助、種田助丞、佐藤六左衛門、中条監物を置く。下坂本(近江国)のうち田中に柴田勝家氏家卜全安藤守就稲葉良通を置く。信長は宇佐山城(近江国)に入る。
出典:『信長公記』巻3(10)「志賀御陣の事」

元亀1年 1570年 11月3日 59歳
氏家卜全が志賀(近江国)に在陣する。吉田兼見が卜全に糠、藁を贈る。
出典:『兼見卿記』同年月日条

元亀2年 1571年 5月12日 60歳
織田信長願証寺(長島)を攻めるため津島(尾張国)に布陣する。中筋口より佐久間信盛、浅井新八、山田三左衛門、長谷川与次、和田新介、中嶋豊後を、大田口より柴田勝家、市橋長利、氏家卜全、伊賀平左衛門、稲葉良通、塚本小大膳、不破光治丸毛長照、飯沼勘平を遣わす。
出典:『信長公記』巻4(3)「大田口合戦の事」

元亀2年 1571年 5月16日 60歳
願証寺(長島)を攻めるため大田口を攻めていた柴田勝家氏家卜全等が所々を放火し引き上げたところ、一向一揆の攻撃を受け、勝家は負傷し、卜全は戦死する。
出典:『信長公記』巻4(3)「大田口合戦の事」

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