人 物 史

山岡景猶 やまおか かげなお
生 没 年?-慶長4年(1599)
出 身-幼 名-
別 称-
法 名玉林房
戒 名-
山岡景之-
兄 弟 姉 妹-
配 偶 者-
-
官 位備前守
役 職-
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
山岡景猶 年表
和暦 西暦 年齢 事項 出典
-----山岡景猶が生まれる。-
永禄12年1569820-織田信長が伊勢国に侵攻するため軍勢80000をもって岐阜城(美濃国)を出陣する。桑名(伊勢国)に宿す。『多聞院日記』同年9月7日条、『信長公記』巻2(6)「阿坂の城退散の事」、『当代記』巻1同年月日条
永禄12年1569828-織田信長北畠具教大河内城(伊勢国)を包囲する。城の南に織田信包滝川一益、織田忠寛、稲葉良通池田恒興、和田新介、中島豊後、進藤賢盛、後藤高治、蒲生賢秀、永原筑前、永田景弘、青地茂綱、山岡景隆山岡景猶丹羽長秀が、城の西に木下秀吉氏家直元安藤守就、飯沼長資、佐久間信盛、市橋長利、塚本小大膳が、城の東に柴田勝家森可成、山田勝盛、長谷川与次佐々成政、佐々政次、梶原景久、不破光治丸毛長照、丹羽源六、不破直光、丸毛兼利が布陣する。尺限廻番衆を前田利家がつとめる。『信長公記』巻2(7)「大河内国司退城の事」
永禄12年1569103-織田信長北畠具教大河内城(伊勢国)を落とす。『多聞院日記』同年月5日条
永禄12年1569108-織田信長大河内城(伊勢国)に子・茶筅を入れ、津田掃部を添え置く。安濃津城(伊勢国)・渋見城(伊勢国)・小造城(伊勢国)に滝川一益を入れ置く。伊勢国上野城に織田信包を入れ置く。伊勢国攻めの諸部隊を解散する。『信長公記』巻2「伊勢御参空の事」
元亀2年1571911-織田信長山岡玉林房所に入る。『信長公記』巻4(4)「しむら攻め干さるゝの事」
天正1年157388-浅井長政家臣・阿閉貞征が織田信長に内通する。『信長公記』巻6(11)「阿閉謀叛の事」
天正1年1573810-織田信長が大づくの北山田山に軍勢を置き朝倉義景勢の越前国への通路を断つ。『信長公記』巻6(11)「阿閉謀叛の事」
天正1年1573812-浅見対馬の手引きにより大づくの下焼尾に織田信長が軍勢を入れ、信長自ら太山大づくに籠る朝倉勢を攻撃し落とす。大づくには塚本小大膳、不破光治不破直光丸毛長照、丸毛三郎兵衛を置く。その後、丁野山に攻めかかり、同所に拠る朝倉勢が降伏する。
織田信忠が虎御前山(近江国)に陣取る。
『信長公記』巻6(12)(「大筒・丁野攻破らるるの事」)
天正1年1573813-織田信長朝倉義景の陣所に夜襲をかける。佐久間信盛柴田勝家滝川一益蜂屋頼隆羽柴秀吉丹羽長秀氏家直昌安藤守就稲葉良通、稲葉右京亮、稲葉貞通蒲生賢秀蒲生氏郷、永原筑前、進藤山城守、永田刑部少輔、多賀常則、久徳左近、阿閉貞征、阿閉孫五郎、山岡景隆、山岡孫太郎、山岡景猶に先陣を命じるも、信長は先陣を追い越し陣所に攻め入ったため、先陣の役割を果たさなかった諸将を叱責する。信長の叱責を受けた諸将は立つ瀬がないと信長に詫びるも、信盛は「自分たち程の家臣はない」と豪語したことで信長は機嫌を損ねる。『信長公記』巻6(12)(「大筒・丁野攻破らるるの事」)・(13)(「刀根山の戦並に一乗谷攻破らるるの事」)
天正1年1573814-昨夜より織田信長朝倉義景勢に夜襲をかけ、朝倉勢は中野河内口、刀根口に撤退するも、織田勢が追撃し、3000程を討ち取る。斎藤龍興が戦死する。
信長が敦賀(越前国)に滞在する。
『信長公記』巻6(12)(「大筒・丁野攻破らるるの事」)・(13)(「刀根山の戦並に一乗谷攻破らるるの事」)
天正1年1573815-織田信長が敦賀(越前国)に滞在する。『信長公記』巻6(13)(「刀根山の戦並に一乗谷攻破らるるの事」)
天正1年1573816-織田信長が敦賀(越前国)に滞在する。『信長公記』巻6(13)(「刀根山の戦並に一乗谷攻破らるるの事」)
天正1年1573817-織田信長が木芽峠を越えて越前国に侵入する。『信長公記』巻6(13)(「刀根山の戦並に一乗谷攻破らるるの事」)
天正1年1573818-織田信長が府中龍門寺(越前国)に陣取る。朝倉義景は一乗谷(越前国)を引き払い大野郡山田庄六坊に移る。『信長公記』巻6(13)(「刀根山の戦並に一乗谷攻破らるるの事」)
天正1年1573820-朝倉景鏡の裏切りにより賢松寺(越前国)にて朝倉義景が自害する。義景の首が龍門寺(越前国)にいる織田信長のもとにもたらされる。『信長公記』巻6(14)(「朝倉義景成敗、越前一国平均に申付けらるるの事」)
天正1年1573826-織田信長が虎御前山(近江国)に入る。『信長公記』巻6(14)(「朝倉義景成敗、越前一国平均に申付けらるるの事」)
天正1年1573827-羽柴秀吉小谷城(近江国)京極丸を攻略し、浅井久政長政父子を分断する。秀吉は小丸に籠る久政を攻め、久政は切腹する。久政の首は織田信長の居る虎御前山に届けられる。『信長公記』巻6(15)(「浅井下野・備前父子成敗、羽柴筑前跡職仰付けらるるの事」)
天正1年1573828-織田信長小谷城(近江国)京極丸に入る。
浅井長政は小谷城にて自害する。
浅井久政・長政父子の首を京都に送る。
『信長公記』巻6(15)(「浅井下野・備前父子成敗、羽柴筑前跡職仰付けらるるの事」)、『豊鑑』巻1
天正10年158262-本能寺に宿泊中の織田信長を、早朝、明智光秀が襲撃する。信長は自害する。また、光秀は二条殿に籠城する織田信忠とその小姓勢を討ち取る。
信長勢:森成利(戦死)、福富秀勝(戦死)、野々村正成(戦死)。
信忠勢:村井貞勝(戦死)、菅屋長頼(戦死)、織田信房(戦死)。
『多聞院日記』同年月日・3日条
天正10年158262-明智光秀山岡景隆を勧誘するが、景隆はその誘いを断り、勢多橋を落として、居城・瀬田城(近江国)を自焼し、山中に逃亡する。『信長公記』巻15(34)「江州安土城御留守衆有様の事」
天正13年1585114-兄・景隆が死去する。-
慶長4年1599---山岡景猶が死去する。-
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