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石高から軍役算出
軍役から石高算出
人 物 史
長谷川与次
はせがわ よじ
生 没 年
?-慶長5年(1600)4/20
出 身
尾張国
幼 名
-
別 称
-
法 名
-
戒 名
-
父
-
母
-
兄 弟 姉 妹
-
配 偶 者
-
子
長谷川秀一
官 位
丹波守
役 職
-
城 郭
-
参 考 文 献
-
関 連 デ ー タ
○
長谷川与次の関連文化財
長谷川与次 年表
- -年 -月-日
長谷川与次
が生まれる。
出典:-
永禄12年 1569年 8月20日
織田信長
が伊勢国に侵攻するため軍勢80000をもって
岐阜城
(美濃国)を出陣する。
桑名
(伊勢国)に宿す。
出典:『多聞院日記』同年9月7日条、『信長公記』巻2(6)「阿坂の城退散の事」、『当代記』巻1同年月日条
永禄12年 1569年 8月28日
織田信長
が
北畠具教
の
大河内城
(伊勢国)を包囲する。城の南に
織田信包
、
滝川一益
、織田忠寛、
稲葉良通
、
池田恒興
、和田新介、中島豊後、進藤賢盛、後藤高治、
蒲生賢秀
、永原筑前、永田景弘、青地茂綱、
山岡景隆
、
山岡景猶
、
丹羽長秀
が、城の西に
木下秀吉
、
氏家直元
、
安藤守就
、飯沼長資、
佐久間信盛
、市橋長利、塚本小大膳が、城の東に
柴田勝家
、
森可成
、山田勝盛、
長谷川与次
、
佐々成政
、佐々政次、梶原景久、
不破光治
、
丸毛長照
、丹羽源六、
不破直光
、丸毛兼利が布陣する。尺限廻番衆を
前田利家
がつとめる。
出典:『信長公記』巻2(7)「大河内国司退城の事」
永禄12年 1569年 10月3日
織田信長
が
北畠具教
の
大河内城
(伊勢国)を落とす。
出典:『多聞院日記』同年月5日条
永禄12年 1569年 10月8日
織田信長
が
大河内城
(伊勢国)に子・
茶筅
を入れ、津田掃部を添え置く。
安濃津城
(伊勢国)・渋見城(伊勢国)・小造城(伊勢国)に
滝川一益
を入れ置く。伊勢国上野城に
織田信包
を入れ置く。伊勢国攻めの諸部隊を解散する。
出典:『信長公記』巻2「伊勢御参空の事」
元亀1年 1570年 9月8日
織田信長
が楼の岸(摂津国)に砦を築き、
斎藤利治
、
稲葉良通
、中川重政を置く。川口に砦を築き、平手汎秀、
長谷川与次
、水野監物、
佐々成政
、塚本小大膳、
丹羽氏勝
、佐藤秀方、梶原景久、高宮右京亮を置く。
出典:『信長公記』巻3(9)「野田福嶋御陣の事」
元亀1年 1570年 9月9日
織田信長
が天満が森に本陣を移す。
出典:『信長公記』巻3(9)「野田福嶋御陣の事」
元亀1年 1570年 9月12日
足利義昭
、
織田信長
が海老江(摂津国)に陣を移し、
三好長逸
、
岩成友通
、
三好康長
、安宅信康、十河存保、
篠原長房
、松山重治、
斎藤龍興
、長井道利の籠る野田・福島(摂津国)を攻める。長逸等は信長に降伏を申し出るが信長に断られる。
本願寺顕如
が義昭、信長を攻撃する。
出典:『信長公記』巻3(9)「野田福嶋御陣の事」、『兼見卿記』同年月日条
元亀1年 1570年 9月13日
本願寺顕如
が織田方の楼の岸砦、川口砦に攻め入る。
出典:『信長公記』巻3(9)「野田福嶋御陣の事」
元亀1年 1570年 9月14日
本願寺顕如
が天満が森に攻め入る。かすがゐ堤の合戦で
織田信長
と大坂本願寺勢が戦い、信長が本願寺勢を退ける。この戦いで織田勢の第1陣を
佐々成政
が、第2陣を
前田利家
がつとめる。成政は負傷し撤退する。
出典:『信長公記』巻3(9)「野田福嶋御陣の事」
元亀1年 1570年 9月23日
織田信長
が
和田惟政
、
柴田勝家
に殿を命じ、野田・福島(摂津国)を引き払い京都に向かう。江口を経由して
足利義昭
とともに帰洛する。
信長は吉田兼見に白川と山中の通路を封鎖するように命じる。兼見は白川、浄土寺にその旨を命じる。
出典:『兼見卿記』同年月日条、『信長公記』巻3(10)「志賀御陣の事」
元亀1年 1570年 9月25日
織田信長
が比叡山の麓にあって香取屋敷を丈夫に拵える。平手汎秀、
長谷川与次
、山田三左衛門、
不破光治
、
丸毛長照
、浅井新八、丹羽源六、水野大膳に穴太(近江国)にて砦の普請を命じ、
簗田広正
、
川尻秀隆
、
佐々成政
、塚本小大膳、
明智光秀
、苗木久兵衛、
村井貞勝
、
佐久間信盛
、進藤山城守、後藤喜三郎、
多賀常則
、梶原平次郎、永井雅楽助、種田助丞、佐藤六左衛門、中条監物を置く。
下坂本
(近江国)のうち田中に
柴田勝家
、
氏家卜全
、
安藤守就
、
稲葉良通
を置く。信長は宇佐山城(近江国)に入る。
出典:『信長公記』巻3(10)「志賀御陣の事」
元亀2年 1571年 5月12日
織田信長
が
願証寺(長島)
を攻めるため津島(尾張国)に布陣する。中筋口より
佐久間信盛
、浅井新八、山田三左衛門、
長谷川与次
、和田新介、中嶋豊後を、大田口より
柴田勝家
、市橋長利、
氏家卜全
、伊賀平左衛門、
稲葉良通
、塚本小大膳、
不破光治
、
丸毛長照
、飯沼勘平を遣わす。
出典:『信長公記』巻4(3)「大田口合戦の事」
天正2年 1574年 7月14日
織田信長
が
願証寺(長島)
を東の市江、西の香取、中筋の早尾の三方より攻める。市江口には子・
信忠
を大将として、
織田信包
、津田半左衛門、津田又十郎、津田市介、津田孫十郎、
斎藤利治
、簗田左衛門太郎、
森長可
、坂井越中守、
池田恒興
、
長谷川与次
、山田三左衛門、梶原平次、和田新介、中嶋豊後守、関小十郎右衛門、佐藤六左衛門、市橋伝左衛門、塚本小大膳を付ける。香取口には
佐久間信盛
、
柴田勝家
、
稲葉一鉄
、
稲葉貞通
、
蜂屋頼隆
を置き、松之木の渡を守る一向一揆勢を攻める。信長は早尾口より、
木下秀長
、浅井新八、
丹羽長秀
、
氏家直昌
、
安藤守就
、飯沼勘平、
不破光治
、
不破直光
、
丸毛長照
、丸毛三郎兵衛、
佐々成政
、市橋長利、
前田利家
、中条将監、
川尻秀隆
、津田大隅守、飯尾隠岐守を先陣として小木江で防戦する一向一揆勢を攻める。また篠橋より出撃した一向一揆勢を破る。前ヶ州、海老江島、加路戸島、いくいら島を焼き払う。五明に野陣する。
出典:『信長公記』巻7(9)「河内長嶋一篇に仰付けらるるの事」
天正10年 1582年 4月3日
恵林寺
が佐々木次郎を匿ったとして、
織田信忠
が織田九郎次郎・
長谷川与次
・関十郎右衛門・赤座七郎右衛門尉を奉行として恵林寺僧衆の成敗を命じる。奉行衆は寺中老若を山門に集め火をかけ、150余人を焼き殺す。
出典:『信長公記』同年月日条
天正10年 1582年 6月2日
本能寺
に宿泊中の
織田信長
を、早朝、
明智光秀
が襲撃する。信長は自害する。また、光秀は二条殿に籠城する
織田信忠
とその小姓勢を討ち取る。
信長勢:
森成利
(戦死)、
福富秀勝
(戦死)、
野々村正成
(戦死)。
信忠勢:
村井貞勝
(戦死)、
菅屋長頼
(戦死)、
織田信房
(戦死)、
団忠正
(戦死)。
出典:『多聞院日記』同年月日・3日条
天正13年 1585年 7月11日
羽柴秀吉
への関白宣下が行われる。
出典:『兼見卿記』同年月日条
文禄3年 1594年 2月-日
子・
秀一
が死去する。
出典:-
慶長5年 1600年 4月20日
長谷川与次
が死去する。
出典:-
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