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永禄9年 1566年 -月-日
稲葉典通が生まれる。
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永禄9年 1566年 -月-日
榊原康政に与力として中根長重が付される。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第100「清和源氏 義家流 足利支流 榊原」「榊原康政」の項

永禄9年 1566年 -月-日
上杉輝虎が加賀国に攻め込み一向衆と戦う。
出典:永禄9年8月26日付顕如書状案(『顕如上人文案』)

永禄10年 1567年 -月-日
島津彰久が大隅国清水にて生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第109「島津彰久」の項

永禄10年 1567年 -月-日
戸川達安が生まれる。
出典:『戸川記』上(近藤瓶城編『改定史籍集覧 第25冊』近藤出版部、1902年)

永禄10年 1567年 -月-日
斎藤利宗が生まれる。
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永禄10年 1567年 -月-日
有馬晴信が生まれる。
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永禄10年 1567年 -月-日
長谷川藤広が伊勢国一志郡にて生まれる。
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永禄10年 1567年 -月-日
真田信繁が生まれる。
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永禄10年 1567年 -月-日
塙直之が生まれる。
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永禄10年 1567年 -月-日
福原広俊が生まれる。
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永禄10年 1567年 -月-日
成瀬正成が生まれる。
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永禄10年 1567年 -月-日
山崎家盛近江国山崎にて生まれる。
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永禄10年 1567年 1月2日
多聞院英俊が十市遠勝に円鏡、膳、樽1荷を例年通り贈る。
出典:『多聞院日記』同年月3日条

永禄10年 1567年 1月13日
筒井順慶が円明院にて心経会を見物する。
出典:『多聞院日記』同年月日条

永禄10年 1567年 1月18日
毛利秀包が生まれる。
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永禄10年 1567年 2月3日
青蓮院尊朝の加行が結願(完了)する。
出典:『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』)

永禄10年 1567年 2月7日
秋月種長が生まれる。
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永禄10年 1567年 2月10日
真如堂において、光源院(義輝)の菩提を弔うため、「京辺土」、池田勝正、坂本衆により六斎念仏大施餓鬼を催す。鉦鼓衆は約2800人。70000-80000人もの人々が集まったという。
出典:『言継卿記』同年月日条

永禄10年 1567年 2月11日
筒井順慶が薪能を見物する。
出典:『多聞院日記』同年月日条

永禄10年 1567年 2月11日
伊達稙宗の妻・泰心院が死去する。
出典:『性山公治家記録』

永禄10年 1567年 2月16日
三好義継にて宿所を替える。河内国にて義継が松永久秀と同心したと噂される。
出典:『多聞院日記』同年月18日条

永禄10年 1567年 2月25日
足利義昭朝倉義景の居所・一乗谷(越前国)に入る。
出典:『綿考輯録』巻1

永禄10年 1567年 2月28日
三好義継三好長逸岩成友通三好宗渭が「悪逆無道」を構え、「大忠」の松永久秀を討たんとしていることにるいて、久秀に味方することを宣言するとともに、味方してくれた椿井政定、古市播磨守に謝意を示す。
出典:(永禄10年)2月28日付三好義継書状(『戦国遺文』三好氏編第2巻-1322号「小林氏所蔵文書」、同1323号「宮坂氏所蔵文書」)

永禄10年 1567年 3月1日
清玉行願寺で3月2日より開催する千部経法会に音楽にて結縁するように山井景長に依頼する。依頼を受けた景長は山科言継にその旨を伝える。言継は参加する旨を表明する。
出典:『言継卿記』同年月日条

永禄10年 1567年 3月2日
清玉行願寺(革堂)で千部経法会(3/2-3/11)を催す。山科言継・四辻相公・山井景長・隆秋が行願寺で行われる千部経法会に参加する。夕座の際、清玉が言継に酒を勧める。言継は清玉に奉加20疋を贈る。
出典:『言継卿記』同年月日条

永禄10年 1567年 3月3日
山科言継・大沢右兵衛大夫・小川松夜叉・孫左衛門尉が行願寺千部経法会に赴く。
出典:『言継卿記』同年月日条

永禄10年 1567年 3月4日
山科言継が四辻・楽人を連れ行願寺千部経に赴く。
出典:『言継卿記』同年月日条

永禄10年 1567年 3月5日
山科言継・四辻相公・薄が行願寺千部経に赴く。高倉永相が同じく聴聞にやってくる。遍照院が笙を吹く。
出典:『言継卿記』同年月日条

永禄10年 1567年 3月6日
山科言継・持明院・薄が行願寺千部経に赴く。
出典:『言継卿記』同年月日条

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