人 物 史

斎藤利宗 さいとう としむね
生 没 年永禄10年(1567)-正保4年(1647)5/4
出 身-幼 名-
別 称利光
法 名立本
戒 名-
斎藤利三安(稲葉良通の女)
兄 弟 姉 妹斎藤利康、斎藤利宗、斎藤三存、斎藤七兵衛、女(柴田勝全の妻)、女(柴田勝全の妻)、福(稲葉重通の養女、稲葉正成の妻)
配 偶 者-
-
官 位伊豆守、佐渡守
役 職-
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ斎藤利宗の関連文化財
斎藤利宗 年表
永禄10年 1567年 -月-日 1歳
斎藤利宗が生まれる。
出典:-

元亀1年 1570年 4月23日 4歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

天正1年 1573年 7月28日 7歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正10年 1582年 6月1日 16歳
夜、明智光秀が重臣の明智秀満明智光忠、藤田行政、斎藤利三と談合し、織田信長を討つこと決意する。亀山城(丹波国)より出陣する。
出典:『信長公記』巻15(31)「明智日向守逆心の事」

天正10年 1582年 6月2日 16歳
本能寺に宿泊中の織田信長を、早朝、明智光秀が襲撃する。信長は自害する。また、光秀は二条殿に籠城する織田信忠とその小姓勢を討ち取る。
信長勢:森成利(戦死)、福富秀勝(戦死)、野々村正成(戦死)。
信忠勢:村井貞勝(戦死)、菅屋長頼(戦死)、織田信房(戦死)、団忠正(戦死)。
出典:『多聞院日記』同年月日・3日条

天正10年 1582年 6月3日 16歳
明智光秀坂本城(近江国)に入る。大津、松本、瀬田(以上、近江国)に陣取る。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天正10年 1582年 6月4日 16歳
明智光秀安土城(近江国)を接収する。丹羽長秀の居城・佐和山城(近江国)に山崎片家を、羽柴秀吉の居城・長浜城(近江国)に斎藤利三を入れ置く。
4日の大和国より筒井順慶の一手として光秀のもとにやってきた南方衆と井手衆の一部が近江国に出陣する。光秀と順慶は一味と奈良では認識される。
出典:『多聞院日記』同年月5日条

天正10年 1582年 6月12日 16歳
明智光秀が八幡、山崎(以上、山城国)に布陣する。
羽柴秀吉池田恒興とともに摂津国に軍勢を進める。中川清秀高山重友を先陣をつとめ山崎(山城国)に布陣。以下、羽柴勢は山崎から天神馬場(摂津国)に展開する。秀吉は織田信孝を待つため富田(摂津国)に宿す。
出典:『多聞院日記』同年月日条、豊臣秀吉披露状写(『浅野家文書』10号)

天正10年 1582年 6月13日 16歳
山崎(山城国)にて織田信孝羽柴秀吉明智光秀が戦い、信孝・秀吉が勝利する。
織田信孝・羽柴秀吉勢:高山重友中川清秀堀秀政池田恒興羽柴秀長黒田孝高、神子田半左衛門、加藤光泰木村重茲中村一氏加藤清正[羽柴秀吉勢]、栗山利安[黒田孝高勢]、堤教利[丹羽長秀勢](首級4)。
明智光秀勢:明智光秀[大将]、明智光近(戦死)、斎藤利宗伊勢貞興(戦死)、安田国継
敗れた光秀は勝龍寺城(山城国)に逃れる。夜、光秀は勝龍寺城を脱出し、坂本(近江国)に向かう途中、山科にて一揆に殺害される。
秀吉は勝龍寺城に入城する。
出典:『兼見卿記』同年月日・14日条、『言経卿記』同年月日条、『多聞院日記』同年月日・15・17日条、豊臣秀吉披露状写(『浅野家文書』10号)、『清正記』1、『黒田家譜』巻2「孝高記」、『寛政重修諸家譜』巻第774「加藤光泰」の項、『丹羽歴代年譜附録』「家臣伝」

天正10年 1582年 6月17日 16歳
明智光秀家臣・斎藤利三の身柄が安土城(近江国)にて拘束される。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天正10年 1582年 6月18日 16歳
父・利三が六条河原(山城国)にて処刑される。
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文禄1年 1592年 12月8日 26歳
「天正」より「文禄」に年号が改まる。
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慶長1年 1596年 10月27日 30歳
「文禄」より「慶長」に元号が改まる。
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慶長16年 1611年 6月24日 45歳
加藤清正が死去する。
出典:『黒田家譜』巻14「長政記」

元和1年 1615年 7月13日 49歳
「慶長」より「元和」に年号が改まる。
出典:『駿府記』同年月日条

寛永1年 1624年 2月30日 58歳
「元和」より「寛永」に年号が改まる。
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正保1年 1644年 12月16日 78歳
「寛永」より「正保」に年号が改まる。
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正保4年 1647年 5月4日 81歳
斎藤利宗が死去する。
出典:-

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