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天正12年 1584年 -月-日
高力忠房が遠江国浜松にて生まれる。
出典:-

天正12年 1584年 -月-日
茶屋清次が生まれる。
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天正12年 1584年 -月-日
大井昌義が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第152「大井昌義」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第152「大井昌義」の項

天正12年 1584年 1月8日
青蓮院尊朝、梶井宮最胤が大坂城(摂津国)に下向し羽柴秀吉に年始の礼をする。湯がけ3具を贈る。
出典:『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』)

天正12年 1584年 1月13日
北條氏直小田原城(相模国)修築のため、同国千津島に人夫を課す。
出典:『相州文書』同年月日条

天正12年 1584年 1月16日
中村一氏が年頭の礼として貝塚本願寺にいる本願寺顕如のもとを訪れる。顕如は一氏に対面する。
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正12年 1584年 1月18日
本願寺顕如羽柴秀吉へ年頭の礼として太刀1腰、馬代1000疋を、増田長盛石田三成に500疋ずつを贈る。使者は円山内匠
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正12年 1584年 1月18日
青蓮院尊朝が二品に叙される。尊朝は正親町天皇が病のため青蓮院にて不動法を修す。
出典:『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』)

天正12年 1584年 1月21日
本願寺顕如中村一氏に年頭の礼の返礼として音信を遣わす。使者は下間頼廉下間仲孝
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正12年 1584年 2月5日
上使・清叔寿泉が上井覚兼に挨拶をしたいと述べている旨を道正宗与が覚兼に伝える。覚兼が寿泉を千手院に迎えると、そのことを謝すとともに、伊勢貞知の書状を渡す。
出典:『上井覚兼日記』同年月日条

天正12年 1584年 2月11日
豪盛延暦寺復興のため西国に勧進に赴くにあたり、その活動を認める綸旨と令旨を賜るよう施薬院全宗が鳥居小路大蔵卿に請う。
出典:2月11日付施薬院全宗書状(「曼殊院文書」『大』11-5 同年月日条)

天正12年 1584年 2月13日
龍造寺隆信合志親為を攻める。
出典:『上井覚兼日記』同年2/26条

天正12年 1584年 2月16日
青蓮院尊朝が六波羅密寺で開帳されている本尊の見物に赴く。
出典:『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』)

天正12年 1584年 2月20日
大乗院尋憲が白毫寺へ花見に赴く。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天正12年 1584年 2月25日
大乗院尋憲が大乗院にて花見を催す。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天正12年 1584年 2月-日
羽柴秀吉が上洛する。
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正12年 1584年 2月-日
羽柴秀吉坂本(近江国)に移る。
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正12年 1584年 3月4日
脇坂安元山城国にて生まれる。
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天正12年 1584年 3月6日
織田信雄長島城(伊勢国)にて岡田重孝、津川義冬、浅井長時を殺害する。羽柴秀吉がこの件に立腹し、信雄に殺害理由を質す。
出典:『宇野主水記』同年月8日条、(天正12年)3月26日付羽柴秀吉書状(『豊臣秀吉文書集成』2-993号、「佐竹文書」)

天正12年 1584年 3月6日
夕方、九条兼孝が奈良(大和国)に到着する。
出典:『多聞院日記』同年月7日条

天正12年 1584年 3月7日
青蓮院尊朝が参内し延暦寺再興の綸旨発給を奏聞する。
出典:『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』)

天正12年 1584年 3月7日
天野隆重が死去する。
出典:-

天正12年 1584年 3月10日
羽柴秀吉が近江国より出陣する。
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正12年 1584年 3月11日
羽柴秀吉が甥・秀次の軍勢3000を美濃口に遣す。
出典:(天正12年)3月11日付羽柴秀吉判物(『豊臣秀吉文書集成』2-965号「富田氏所蔵文書」)

天正12年 1584年 3月13日
伊勢国の抑えとして羽柴秀長を守山(近江国)に置く。
出典:(天正12年)3月13日付羽柴秀吉判物(『豊臣秀吉文書集成』2-968号)

天正12年 1584年 3月13日
池田元助森長可犬山城(尾張国)を攻め、落とす。
羽柴秀吉が伊勢国の抑えとして羽柴秀長を守山(近江国)に置く。
秀吉が細川忠興を瀬田(近江国)に置く。
秀吉の命により加藤光泰、木村隼人、堀尾吉晴が甲賀(近江国)に陣取る。
出典:(天正12年)3月26日付羽柴秀吉書状(『豊臣秀吉文書集成』2-993号、「佐竹文書」)

天正12年 1584年 3月13日
池田元助森長可犬山城(尾張国)を攻め、落とす。
出典:(天正12年)3月26日付羽柴秀吉書状(『豊臣秀吉文書集成』2-993号、「佐竹文書」)

天正12年 1584年 3月13日
羽柴秀吉細川忠興を瀬田(近江国)に置く。
出典:(天正12年)3月13日付羽柴秀吉判物(『豊臣秀吉文書集成』2-968号)

天正12年 1584年 3月13日
羽柴秀吉の命により加藤光泰、木村隼人、堀尾吉晴が甲賀(近江国)に陣取る。
出典:(天正12年)3月13日付羽柴秀吉判物(『豊臣秀吉文書集成』2-968号)

天正12年 1584年 3月14日
羽柴秀吉滝川一益の峯城(伊勢国)を攻め、落とす。
出典:『宇野主水記』同年月日条

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