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事項 :   
出典 :   


天文1年 1532年 8月2日
にいた細川晴元が一向一揆勢に包囲されるが、合戦にて勝利する。
出典:『二水記』同年月3日条

天文1年 1532年 8月4日
細川晴元本願寺証如が敵対関係となる。(『私』)
木沢長政の衆が一向一揆勢と喧嘩し殺害される。長政はその報復として、の東にあるあさかの道場の近郷を放火する。
出典:『私心記』同年月日条、『祇園執行日記』同年月日条、『細川両家記』

天文1年 1532年 8月4日
山村正次が上京下京の一揆勢を率いて打ちまわる。
出典:『祇園執行日記』同年月日条

天文1年 1532年 8月5日
一向一揆勢が細川晴元の居る北荘に攻め入るが、木沢長政の救援もあって細川勢が一向一揆勢を退ける。
池田城(摂津国)に摂津国の一向一揆勢が攻めかかるが和睦により一揆勢は開陣する。
出典:『経厚法印日記』同年月日条、『細川両家記』、『足利季世記』巻四 山科本願寺責落事

天文1年 1532年 8月8日
に居る細川晴元大坂本願寺に軍勢を遣わすも一向一揆勢が細川勢を退ける。
出典:『経厚法印日記』同年月日条

天文1年 1532年 8月8日
尼子経久塩冶興久方の佐陀城(出雲国)を攻める。尼子国久が城攻めに加わる。
出典:『陰徳太平記』巻7「雲州佐陀ノ城没落ノ事」

天文1年 1532年 8月9日
三好千熊丸千満丸兄弟が連署で父・元長の菩提所である見性寺に阿波国上郡山本分を寄進する。
出典:天文1年8月9日付三好長慶・三好実休連署書下(「見性寺文書」『戦国遺文 三好氏編』第1巻-101号)

天文1年 1532年 8月9日
子・三好千熊丸千満丸兄弟が連署で三好元長の菩提所である見性寺に阿波国上郡山本分を寄進する。
出典:天文1年8月9日付三好長慶・三好実休連署書下(「見性寺文書」『戦国遺文 三好氏編』第1巻-101号)

天文1年 1532年 8月11日
蓮淳山科本願寺に移る。
出典:『私心記』同年月日条

天文1年 1532年 8月11日
山村正次が上京下京の日蓮衆徒・町人を率いて東山を打ちまわる。
出典:『祇園執行日記』同年月日条

天文1年 1532年 8月12日
上京下京の日蓮衆徒が思い思いに軍勢を各所に遣わす。
出典:『祇園執行日記』同年月日条

天文1年 1532年 8月23日
法華衆および六角定頼の軍勢30000-40000が山科本願寺を包囲する。定頼は同寺の東に陣取る。矢合わせが行われる。
出典:『二水記』同年月日条、『経厚法印日記』同年月日条

天文1年 1532年 8月24日
早朝より山科本願寺が法華衆や六角定頼勢の攻撃を四方から受ける。野村郷(山城国)からの焼き討ちにより寺内に入り込まれ、また下間兵庫助が定頼に内応したこともあって、未刻(13-15時)に諸勢が寺内に乱入し、同寺が陥落する。寺内は一軒も残らず焼き討ちされる。
定頼は夜に帰陣する。
出典:『私心記』同年月日条、『経厚法印日記』同年月日条、『二水記』同年月日条、『細川両家記』

天文1年 1532年 8月25日
山科本願寺の焼跡地から財宝が取り出される。
出典:『二水記』同年月日条

天文1年 1532年 8月26日
山科本願寺の焼跡地から財宝が持ち出される。黄金数百両が持ち出されたという。
出典:『二水記』同年月日条

天文1年 1532年 8月28日
山村正次が粟田口惣庄(山城国)に対し、山科本願寺敵対につき同庄内の本願寺領は闕所地となったが、高畠長信の命により正次に給付されることになったので、他の妨げがあった場合は、正次のもとに報告するよう伝える。
出典:『経厚法印日記』同年月日条

天文1年 1532年 9月6日
青蓮院尊鎮、曼殊院慈運が因幡薬師に参詣する。
出典:『二水記』同年月日条

天文1年 1532年 9月6日
鷲尾隆康が村田宗珠の茶屋を見物する。隆康は宗珠の茶屋を「見事」、「山居之躰尤有感、誠可謂市中隠、当時数奇之張本也」と絶賛する。
出典:『二水記』同年月日条

天文1年 1532年 9月6日
鷲尾隆康、青蓮院尊鎮、曼殊院慈運が因幡薬師に参詣する。
出典:『二水記』同年月日条

天文1年 1532年 9月11日
庭田重親邸にて高倉範久、堯淵、五辻諸仲、鷲尾隆康が酒を飲む。
出典:『二水記』同年月日条

天文1年 1532年 9月12日
山科言継が父・言綱の三回忌法要を自邸にて執り行う。
出典:『二水記』同年月日条

天文1年 1532年 9月21日
青蓮院尊鎮、曼殊院慈運、三条公頼清水寺に参詣する。
出典:『二水記』同年月日条

天文1年 1532年 9月22日
鷲尾隆康、青蓮院尊鎮大報恩寺に参詣する。
出典:『二水記』同年月日条

天文1年 1532年 9月24日
真如堂の本尊である阿弥陀如来が開帳される。青蓮院尊鎮三条公頼、万里小路季房、公誉、高倉範久真如堂に参詣する。
出典:『二水記』同年月日条

天文1年 1532年 9月25日
恵教が禁裏小御所において円頓甲戒を授ける。円仁着用の袈裟を持参する。
出典:『二水記』同年月日条

天文1年 1532年 9月26日
山崎(山城国)にて一向一揆勢と薬師寺国長・法華衆が戦う。
出典:『二水記』同年月日条

天文1年 1532年 9月26日
一向一揆勢と薬師寺国長・法華衆が山崎(山城国)にて戦っているのをうけ、上京の町衆が集会のため革堂の鐘を、下京の町衆が六角堂の鐘を鳴らす。
出典:『二水記』同年月日条

天文1年 1532年 9月27日
高倉範久が城南宮に下る。
出典:『二水記』同年月日条

天文1年 1532年 9月28日
山崎(山城国)にて一向一揆勢と薬師寺国長・法華衆が戦い、一揆勢が勝利する。薬師寺国長、一宮堅成が撤退する。
出典:『二水記』同年月日条

天文1年 1532年 10月1日
細川晴元の軍勢が京都に駐在し打ち回りをする。
出典:『祇園執行日記』同年月日条

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