天文2年 1533年 1月24日 |
1月23日に落馬した飛鳥井雅綱のもとに山科言継が見舞いに訪れる。 |
出典:『言継卿記』同年月日条 |
天文2年 1533年 1月27日 |
飛鳥井雅綱のもとに山科言継が見舞いに訪れる。 |
出典:『言継卿記』同年月日条 |
天文2年 1533年 2月8日 |
万里小路が山科言継を呼び春日祭について説明を受ける。その際、袍が不足していることから、飛鳥井雅綱の袍を借りることにする。 |
出典:『言継卿記』同年月日条 |
天文2年 1533年 2月9日 |
島津義久が薩摩国阿多郡伊作城にて生まれる。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津義久」の項 |
天文2年 1533年 2月10日 |
山科言継が春日祭で不足している袍を飛鳥井雅綱に借りるべく訪れる。一旦、言継とは別れるが、後に言継が雅綱を訪れたので草餅にて酒を飲む。 |
出典:『言継卿記』同年月日条 |
天文2年 1533年 2月10日 |
一向一揆が堺にいる細川晴元を攻め、堺を落とす。晴元は淡路国に逃亡する。 |
出典:『足利季世記』巻四 所々一揆起ル事、『陰徳太平記』巻8「摂州諸所合戦之事」 |
天文2年 1533年 3月5日 |
一向一揆が伊丹城(摂津国)を攻撃する。 |
出典:『足利季世記』巻四 伊丹城合戦附晴元帰ル事、『細川両家記』、『陰徳太平記』巻8「摂州諸所合戦之事」 |
天文2年 1533年 3月21日 |
弘法大師700年忌が高野山壇上伽藍にて執行される。 |
出典:『快元僧都記』同年月日条 |
天文2年 1533年 3月23日 |
右近衛大将に任官する。 |
出典:『系図纂要』「鷹司家」 |
天文2年 1533年 3月24日 |
木沢長政が上洛する。 |
出典:『私心記』同年月日条 |
天文2年 1533年 3月29日 |
一向一揆に攻撃されている伊丹城(摂津国)を救援すべく、法華衆を引き連れ同城の後詰に駆け付け一向一揆を破る。 |
出典:『足利季世記』巻四 伊丹城合戦附晴元帰ル事、『陰徳太平記』巻8「摂州諸所合戦之事」 |
天文2年 1533年 4月6日 |
細川晴元が淡路国より池田城(摂津国)に入る。 |
出典:『私心記』同年月日条、『足利季世記』巻四 伊丹城合戦附晴元帰ル事、『細川両家記』、『陰徳太平記』巻8「摂州諸所合戦之事」 |
天文2年 1533年 4月7日 |
池田城(摂津国)に着陣する。本満寺に本願寺との手切れが15日であることを伝えたうえで檀那を動員し大坂本願寺に攻め入るよう催促する。 |
出典:(天文2年)4月7日付細川晴元書状(『戦国遺文』三好氏編第1巻-103号「本満寺文書」) |
天文2年 1533年 4月11日 |
鶴岡八幡宮仮殿の事始めが行われる。 |
出典:『快元僧都記』同年月日条 |
天文2年 1533年 4月12日 |
建仁寺(山城国)にて秉払が行われる。ただし僧衆は30人程。 |
出典:『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』151号 |
天文2年 1533年 4月18日 |
北条氏綱が鶴岡八幡宮に参詣する。 |
出典:『快元僧都記』同年月日条 |
天文2年 1533年 4月26日 |
上京・下京の日蓮衆徒が、京都に滞在している細川晴元勢に交じり大坂本願寺攻めに出陣する。 |
出典:『祇園執行日記』同年月日条 |
天文2年 1533年 4月29日 |
堺に籠っていた一向一揆が細川晴元の攻撃を受け大坂本願寺に撤退する。 |
出典:『足利季世記』巻四 伊丹城合戦附晴元帰ル事、『細川両家記』 |
天文2年 1533年 5月5日 |
三好千熊丸、木沢長政、法華衆が大坂本願寺を攻める。 |
出典:『足利季世記』巻四 伊丹城合戦附晴元帰ル事、『陰徳太平記』巻8「摂州諸所合戦之事」 |
天文2年 1533年 5月14日 |
雨のため鴨川の水量が増し、洛中への通行が不能となる。 |
出典:『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』151号 |
天文2年 1533年 5月18日 |
鶴岡八幡宮假殿が完成する。 |
出典:『快元僧都記』同年月日条 |
天文2年 1533年 5月20日 |
細川晴元と本願寺証如の和睦が成立する。大坂本願寺を攻めていた三好千熊丸、木沢長政、法華衆が同寺より撤退する。 |
出典:『足利季世記』巻四 伊丹城合戦附晴元帰ル事、『細川両家記』 |
天文2年 1533年 6月8日 |
中島(摂津国)との手切れにより、同地への攻撃を三好千熊丸に命じたことを本満寺に伝え、同寺に大坂在陣を促す。 |
出典:(天文2年)6月8日付細川晴元書状(「本満寺文書」『戦国遺文 三好氏編』第1巻-参考14号) |
天文2年 1533年 6月18日 |
平岡にて細川晴国と薬師寺国長・三雲資胤・蒲生定秀・進藤貞治が戦い、晴国が勝利する。薬師寺国長は戦死する。 |
出典:『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』151号) |
天文2年 1533年 6月21日 |
細川晴元と本願寺証如が和睦した、もしくは和睦して安堵した晴元に一向一揆勢が襲い掛かったと京都にて噂される。 |
出典:『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』151号 |
天文2年 1533年 6月21日 |
木沢長政が6月20日に天王寺にて切腹したとの噂が流れる。 |
出典:『私心記』同年月日条 |
天文2年 1533年 6月22日 |
細川晴元と本願寺証如の和睦について、実説は和睦はなったが、大坂本願寺にいた細川高国の牢人衆が晴元勢、証如勢に襲い掛かり双方300人の死者を出したという。 |
出典:『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』151号 |
天文2年 1533年 6月23日 |
細川晴国と法華寺法華衆が戦う。 |
出典:『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』151号 |
天文2年 1533年 6月27日 |
里見義豊が里見実堯、正木通綱を殺害する。 |
出典:『快元僧都記』同年月日条 |
天文2年 1533年 7月2日 |
飛鳥井雅綱、山科言継等が尾張国に下向するため京都を出立し坂本(近江国)の善養坊に到着する。 |
出典:『言継卿記』同年月日条 |