人 物 史

ねね/高台院 ねね/こうだいいん
生 没 年?-寛永1年(1624)9/6
出 身尾張国朝日村幼 名-
別 称祢、寧、寧子、子為
法 名高台院湖月心公
戒 名-
杉原定利
浅野長勝[養父]
朝日
兄 弟 姉 妹木下家貞、長生院、ねね/高台院、杉原くま
配 偶 者豊臣秀吉
-
官 位-
役 職-
城 郭-
参 考 文 献ねね/高台院に関する参考文献
関 連 デ ー タねね/高台院の関連文化財
ねね/高台院 年表
- -年 -月-日 
ねねが尾張国朝日村にて生まれる。
出典:-

永禄4年 1561年 8月-日 
木下秀吉ねねの婚儀が執り行われる。
出典:-

天正10年 1582年 6月2日 
本能寺に宿泊中の織田信長を、早朝、明智光秀が襲撃する。信長は自害する。また、光秀は二条殿に籠城する織田信忠とその小姓勢を討ち取る。
信長勢:森成利(戦死)、福富秀勝(戦死)、野々村正成(戦死)。
信忠勢:村井貞勝(戦死)、菅屋長頼(戦死)、織田信房(戦死)、団忠正(戦死)。
出典:『多聞院日記』同年月日・3日条

天正10年 1582年 6月4日 
明智光秀安土城(近江国)を接収する。丹羽長秀の居城・佐和山城(近江国)に山崎片家を、羽柴秀吉の居城・長浜城(近江国)に斎藤利三を入れ置く。
4日の大和国より筒井順慶の一手として光秀のもとにやってきた南方衆と井手衆の一部が近江国に出陣する。光秀と順慶は一味と奈良では認識される。
出典:『多聞院日記』同年月5日条

天正12年 1584年 9月9日 
杉原家次が死去する。
出典:-

天正17年 1589年 9月5日 
寧々が大坂より聚楽第(山城国)に移る。
出典:『北野社家日記』同年月日条

文禄4年 1595年 7月8日 
豊臣秀吉が、謀叛の疑惑につき豊臣秀次高野山清巌寺に配流する。申刻(15-17時)、秀次が伏見城(山城国)を出立する。木下吉隆、羽田長門守、応其が秀次の供をする。秀次一行は玉水(山城国)に宿泊する。
夜、秀次の妻子が徳永寿昌邸に移され、前田玄以田中吉政が監視する。
出典:『太閤さま軍記のうち』、『太閤記』巻17「前関白秀次公之事」、『当代記』巻3同年月日条

文禄4年 1595年 7月9日 
豊臣秀次が玉水(山城国)を出立し、奈良(大和国)の中院の井上源五郎邸に宿泊する。秀次のもとに見舞いの使者が多く訪れたが、不要である旨の触れを出すよう駒井重勝、益田照従に命じる。
出典:『太閤記』巻17「前関白秀次公之事」

文禄4年 1595年 7月13日 
豊臣秀次謀叛事件につき、連座した秀次家臣の処刑が行われる。秀次家臣の切腹に石田三成前田玄以増田長盛が検使として立ち会う。秀次謀叛事件に連座した服部一忠上杉景勝に、一柳直秀は徳川家康に、船越景直は遠流の刑に処される。
出典:『太閤さま軍記のうち』

文禄4年 1595年 7月15日 
豊臣秀次高野山青巌寺にて切腹する。秀次家臣・木村重茲が秀次に連座し大門寺(摂津国)にて切腹する。
出典:『当代記』巻3 同年月日条

慶長3年 1598年 8月18日 
夫・秀吉が死去する。
出典:『当代記』巻3同年月日条

慶長4年 1599年 閏3月3日 
前田利家が死去する。
出典:『黒田家譜』巻9「長政記」、『当代記』巻3同年3月2日条

慶長4年 1599年 閏3月7日 
石田三成佐和山城(近江国)に隠居させられる。
出典:『当代記』巻3同年月日条

慶長4年 1599年 閏3月10日 
石田三成佐和山城(近江国)に隠居させられる。
出典:『義演准后日記』同年月日条

慶長4年 1599年 閏3月13日 
午刻(11-13時)、徳川家康伏見城(山城国)に移る。
出典:『当代記』巻3同年月日条

慶長4年 1599年 5月17日 
高台院の命による東寺(山城国)の金堂建立につき、地割がなる。奉行は応其
出典:『義演准后日記』同年月日条

慶長4年 1599年 6月1日 
高台院の命による石山寺(近江国)の観音堂修復につき、岩間の山木を伐採する。奉行は応其
出典:『義演准后日記』同年月日条

慶長12年 1607年 2月20日 
北野社(山城国)の松梅院より板倉勝重を介して高台院に依頼した北野社の造営について、高台院は豊臣秀頼淀殿に支援を求めると松梅院に返答したうえで、大坂(摂津国)に赴く。
出典:『北野社家日記』同年月日条

慶長12年 1607年 2月21日 
高台院北野社(山城国)の松梅院より依頼を受けた北野社造営への豊臣秀頼淀殿の支援要請について、秀頼・淀殿の承諾が得られたことが松梅院にもたらされる。
出典:『北野社家日記』同年月20日条

慶長12年 1607年 9月5日 
豊臣秀頼の支援による北野社(山城国)の造営が始まる。
*『当代記』には秀頼による寺社造営について、「秀頼公幼稚にまします、御袋(淀殿)の発願歟」と記す。
出典:『当代記』同年月日条

慶長16年 1611年 6月24日 
加藤清正が死去する。
出典:『黒田家譜』巻14「長政記」

慶長19年 1614年 4月16日 
卯刻(5-7時)、方廣寺大仏殿(山城国)の鐘鋳が行われる。
出典:『駿府記』同年月19日条

元和1年 1615年 7月21日 
徳川家康二条城(山城国)にて能を催す。高台院、公家衆、女房衆が参席する。
出典:『駿府記』同年月日条

元和2年 1616年 4月17日 
徳川家康が死去する。
出典:-

寛永1年 1624年 9月6日 
高台院が死去する。
出典:-

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