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出典 :   


天正6年 1578年 11月23日
織田信長が惣持寺(摂津国)に赴く。
出典:『信長公記』巻11 荒木摂津守逆心を企て並に伴天連の事

天正6年 1578年 11月19日
武田勝頼勢が島田より田中に引き上げる。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正6年 1578年 11月24日
茨木城(摂津国)に籠る荒木村重方の中川清秀が、古田重然福富秀勝・下石彦右衛門・野々村正成の勧めにより、同城にいる石田伊予、渡辺勘大夫を追い出し、織田信長に降伏する。
清秀の降伏により、信長は本願寺顕如との和睦を取り止める。
出典:『信長公記』巻11 荒木摂津守逆心を企て並に伴天連の事、『立入左京亮入道隆佐記』、『当代記』巻2同年月日条

天正6年 1578年 11月25日
武田勝頼が遠江国より引き上げる。
出典:『家忠日記』同年月30日条

天正6年 1578年 11月26日
織田信長中川清秀に黄金30枚、高山重友に黄金20枚を下付する。
出典:『信長公記』巻11 荒木摂津守逆心を企て並に伴天連の事

天正6年 1578年 11月27日
織田信長が郡山(摂津国)から古池田(摂津国)に陣所を移す。
出典:『信長公記』巻11 荒木摂津守逆心を企て並に伴天連の事

天正6年 1578年 11月28日
織田信長信忠父子が昆陽野(摂津国)に陣所を移す。
出典:『信長公記』巻11 荒木摂津守逆心を企て並に伴天連の事

天正6年 1578年 11月29日
申刻(15-17時)、遠江国にて地震が起こる。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正6年 1578年 11月30日
松平家忠牧野城(遠江国)に鉄砲衆20名を置く。11月25日に武田勝頼が引き上げたので、徳川家康勢も浜松城(遠江国)に引き上げる。松平信康は三河国まで帰国する。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正6年 1578年 11月-日
滝川一益丹羽長秀が西宮・茨住吉・芦屋・雀ヶ松原・御影・滝山・生田森(摂津国)に陣取り、荒木村重方の荒木志摩守が籠る花隈城(摂津国)を攻める。
出典:『信長公記』巻11 荒木摂津守逆心を企て並に伴天連の事

天正6年 1578年 12月2日
徳川家康岡崎城(三河国)に到着する。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正6年 1578年 12月2日
松平家忠徳川家康とともに岡崎城(三河国)に戻った後、家忠は深溝城(三河国)に帰城する。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正6年 1578年 12月3日
荒木村重方の大輪田城(摂津国)に籠る安部二右衛門が、織田信長に降伏する。
出典:『信長公記』巻11 荒木摂津守逆心を企て並に伴天連の事

天正6年 1578年 12月4日
滝川一益丹羽長秀が一の谷(摂津国)を放火する。その後、両人は荒木村重が籠る有岡城(摂津国)を攻めるべく塚口(摂津国)に陣取る。
出典:『信長公記』巻11 荒木摂津守逆心を企て並に伴天連の事

天正6年 1578年 12月6日
11月30日に牧野城(遠江国)に置いていた鉄砲衆が深溝城(三河国)に戻ってくる。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正6年 1578年 12月7日
松平家忠のもとに村山掃部助から伊勢御師が訪れる。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正6年 1578年 12月8日
松平家忠が永良にて鷹狩をする。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正6年 1578年 12月8日
織田信長荒木村重の籠る有岡城(摂津国)を攻める。攻め衆は、堀秀政万見重元菅屋長頼が奉行をつとめ、筒井順慶、平井久右衛門、中野又兵衛、芝山次大夫等が参戦する。ただし、村重は織田勢を退け、織田勢は重元、水野忠分等2000余名の戦死者を出す。
出典:『多聞院日記』同年月12日条、『信長公記』巻11 荒木摂津守逆心を企て並に伴天連の事、『家忠日記』同年月12日条

天正6年 1578年 12月10日
島津義久毛利輝元に、来年の春、毛利勢が豊前・筑前に侵攻することを喜ぶとともに、11月に島津勢が大友宗麟勢を耳川(日向国)で破ったことを書状をもって伝える。
出典:(天正6年)12月10日付島津義久書状案(『島津家文書』3-1423)

天正6年 1578年 12月11日
織田信長有岡城(摂津国)の抑えとして付城の築城を命じ、古池田(摂津国)に移る。
塚口郷の砦に丹羽長秀蜂屋頼隆蒲生氏郷高山重友神戸信孝を、毛馬村の砦に織田信包滝川一益北畠信雄・武藤舜秀を、倉橋郷の砦に池田恒興元助池田古新を、原田郷の砦に中川清秀古田重然を、刀根山の砦に稲葉良通氏家直昌安藤守就・芥川を、郡山の砦に津田信澄を、古池田の砦に塩川伯耆を、加茂の砦に織田信忠を、高槻城(摂津国)に大津長昌・牧村長兵衛・生駒市左衛門・生駒三吉・湯浅甚介・猪子高就・村井作右衛門・武田左吉を、茨木城(摂津国)に福富秀勝・下石彦右衛門・野々村正成を置く。
播磨国に、羽柴秀吉佐久間信盛明智光秀筒井順慶を三田城(摂津国)に遣わす。
出典:『信長公記』巻11 同年月日条

天正6年 1578年 12月12日
本願寺顕如が万福寺(播磨国赤穂郡坂越荘鍛屋村)誓乗に証如御影を下付する。
出典:『播磨と本願寺』

天正6年 1578年 12月13日
関白に就任する。藤氏長者となる。
出典:『系図纂要』「九条家」

天正6年 1578年 12月16日
織田信長荒木村重の妻・だしを六条河原にて処刑する。
出典:『立入左京亮入道隆佐記』

天正6年 1578年 12月20日
松平家忠岡崎城(三河国)城下の岡崎町にある満生寺に宿泊する。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正6年 1578年 12月21日
織田信長が古池田(摂津国)より上洛し京都に入る。
出典:『信長公記』巻11 荒木摂津守逆心を企て並に伴天連の事

天正6年 1578年 12月21日
松平家忠岡崎城(三河国)城下の岡崎町に赴く。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正6年 1578年 12月22日
松平家忠岡崎城(三河国)城下の岡崎町より深溝城(三河国)に帰城する。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正6年 1578年 12月25日
織田信長安土城(近江国)に帰城する。
出典:『信長公記』巻11 荒木摂津守逆心を企て並に伴天連の事

天正6年 1578年 12月28日
松平伊長が婚姻する。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正6年 1578年 -月-日
榊原康政に与力として新谷久兵衛が付される。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第100「清和源氏 義家流 足利支流 榊原」「榊原康政」の項

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