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天正7年 1579年 -月-日
豊臣秀保が生まれる。
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天正7年 1579年 -月-日
須田長義が生まれる。
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天正7年 1579年 -月-日
小堀政一が生まれる。
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天正7年 1579年 -月-日
本多康紀が生まれる。
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天正7年 1579年 1月1日
四方拝の奉行職事を勤める。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正7年 1579年 1月2日
徳川家康浜松城(遠江国)にて謡始を催す。松平家忠が参加する。
出典:『家忠日記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第29「松平家忠」の項

天正7年 1579年 1月2日
松平家忠浜松城(遠江国)に居る徳川家康のもとに礼に赴く。家康は謡始を催し、家忠が参加する。
出典:『家忠日記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第29「松平家忠」の項

天正7年 1579年 1月3日
筒井順慶が播磨国より大和国に帰陣する。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天正7年 1579年 1月3日
村井貞勝山科言継言経父子のもとに礼に赴く。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正7年 1579年 1月3日
松平家忠浜松城(遠江国)にて家中衆に礼をする。家忠は浜松城を出立し新居まで帰る。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正7年 1579年 1月4日
松平家忠吉田城(三河国)に居る酒井忠次のもとへ礼に赴く。その後、深溝城(三河国)に帰る。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正7年 1579年 1月4日
松平家忠酒井忠次の居城・吉田城(三河国)に礼に訪れる。その後、忠次は安土城(近江国)に居る織田信長のもとへ礼に赴くべく使者として出立する。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正7年 1579年 1月5日
従四位上に叙される。
出典:『言経卿記』同年月12日条

天正7年 1579年 1月5日
九鬼嘉隆織田信長のもとに年頭の礼のためより安土城(近江国)に赴く。信長は嘉隆に妻子に会うべく暇を下す。
出典:『信長公記』巻12「安土城年賀の事」

天正7年 1579年 1月6日
正親町実彦山科言経のもとを訪れ、季秀に改名したことを伝える。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正7年 1579年 1月7日
山科言経村井貞勝のもとに礼に赴く。50疋を贈る。村井光清に20疋を贈る。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正7年 1579年 1月9日
武田勝頼吉川元春に、荒木村重織田信長に謀叛したことについて、毛利家の本意に属すことであり、足利義昭を奉じて速やかに京都へ出勢すべきことを毛利輝元に諫言するように伝える書状を発給する。
出典:(天正7年)1月9日付武田勝頼書状写(『戦国遺文』武田氏編5巻-3067号、吉川家文書)

天正7年 1579年 1月11日
羽柴秀吉浅野長政に近江国北郡郷福永内300石を給付される。
出典:天正7年1月11日付羽柴秀吉判物(『浅野家文書』309号)

天正7年 1579年 1月11日
筒井順慶春日社に参詣する。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天正7年 1579年 1月11日
大友宗麟が家督を子・義統に譲る。
出典:『豊薩軍記』巻3「大友義統探題職の事」

天正7年 1579年 1月11日
卯刻(5-7時)、三河国にて地震が起こる。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正7年 1579年 1月12日
山科言経・阿茶父子が上御霊社に参詣し、御神楽を見物する。言経、冷泉為満北野社に参詣する。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正7年 1579年 1月13日
吉田兼見が清少納言のところに滞在中の細川藤孝のもとを訪れる。藤孝、兼見が相国寺南豊軒、宝鏡院に赴く。
出典:『兼見卿記』同年月日条

天正7年 1579年 1月14日
山科言継が内侍所に赴く。その後、上御霊社、北野社に参詣する。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正7年 1579年 1月14日
松平家忠松平信康のもとへ礼に赴く。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正7年 1579年 1月15日
松平家忠岡崎城(三河国)城中の家中衆に礼をする。その後、深溝城(三河国)に帰城する。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正7年 1579年 1月16日
上杉景勝上杉景虎方の高津(越後国)を攻め落とし、軍勢を入れ置く。
出典:(天正7年)2月3日付新発田長敦等三名連署状(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』1753号)

天正7年 1579年 1月16日
細川藤孝が手に入れた藤原定家の色紙をもって里村紹巴のところで会を催す。
出典:『兼見卿記』同年月日条

天正7年 1579年 1月16日
誓願寺西堂が香衣勅許の礼として参内し鐚銭4貫を禁裏に進上する。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正7年 1579年 1月17日
吉田兼見が坂本(近江国)にいる明智光秀のもとへ礼として訪れる。面会する。兼見は光秀に100疋を贈る。夕食をともにする。
出典:『兼見卿記』同年月日条

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