天文4年 1535年 12月4日 |
造興福寺長官となる。 |
出典:『公卿補任』天文14年 |
天文4年 1535年 12月5日 |
阿部正豊が森山(尾張国)にて、松平清康を殺害する。 |
出典:『当代記』巻1 |
天文5年 1536年 -月-日 |
池田恒興が生まれる。 |
出典:- |
天文5年 1536年 -月-日 |
応其が生まれる。 |
出典:- |
天文5年 1536年 -月-日 |
近衛前久が生まれる。 |
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天文5年 1536年 -月-日 |
明智秀満が生まれる。 |
出典:- |
天文5年 1536年 -月-日 |
天海が生まれる。 |
出典:- |
天文5年 1536年 -月-日 |
城井鎮房が生まれる。 |
出典:- |
天文5年 1536年 -月-日 |
真柄直隆が生まれる。 |
出典:- |
天文5年 1536年 -月-日 |
柳沢元政が生まれる。 *『寛政重修諸家譜』巻第965「柳沢元政」の項の没年・享年記載より逆算。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第965「柳沢元政」の項 |
天文5年 1536年 1月1日 |
山科言継が、大舘尚氏、大舘晴光、大舘兵庫頭、大舘治部大輔、大舘弥三郎、上野与三郎、千秋将監、彦部又四郎、朝日孫右衛門、荒川氏隆、本郷光泰、本郷三郎、小笠原民部少輔、一色式部少輔、海老名高助、海老名二郎、細川高久、細川刑部少輔、飯川彦九郎のもとに礼に赴く。 |
出典:『言継卿記』同年月日条 |
天文5年 1536年 1月15日 |
佐々成政が生まれる。 |
出典:- |
天文5年 1536年 1月17日 |
木沢長政が山崎(山城国)に入る。 |
出典:『天文日記』同年1月20日条 |
天文5年 1536年 1月18日 |
木沢長政のもとへ本願寺証如より使者・藤井八郎左衛門が訪れ、大和国吉野上市下市還住のことについて述べる。本願寺は越智氏を介して還住を遂げようとしていると述べたため、大和国は木沢自身が守護であり進退する国であることを主張する。 |
出典:『天文日記』同年1月20日条 |
天文5年 1536年 1月22日 |
遊佐長教と本願寺証如の和与につき、証如より長教へ天文4年に礼として太刀、馬が贈られたので、その返礼として長教が太刀1腰、馬1疋(月毛)を証如に贈る。使者は菱木孫右衛門。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文5年 1536年 2月20日 |
六角定頼が相国寺鹿苑院に書状をもって樽5荷、肴代1緡を贈る。 |
出典:『鹿苑日録』同年月日条 |
天文5年 1536年 3月1日 |
権中納言となる。 |
出典:『系図纂要』「広橋」 |
天文5年 1536年 3月1日 |
権大納言となる。 |
出典:『系図纂要』「万里小路」 |
天文5年 1536年 3月10日 |
足利義輝が生まれる。産所が南禅寺門前に仮建てされる。 |
出典:『巌助往年記』同年月条 |
天文5年 1536年 3月16日 |
武田勝千代が元服し、晴信と名乗る。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第145「清和源氏 義光流 武田」「武田晴信」の項 |
天文5年 1536年 3月17日 |
今川氏輝が死去する。 |
出典:『快元僧都記』同年月18日条 |
天文5年 1536年 3月19日 |
本願寺証如が木沢長政に即位の辻固めにつき太刀1腰・馬1疋を、中坊に3種2荷を送る(使者は横田出雲)。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文5年 1536年 3月21日 |
本願寺証如のもとに3/19の木沢長政・中坊への音信の返事がやってきて、長政より後柏原天皇の宸筆題12枚が贈られる。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文5年 1536年 4月3日 |
4月3日に本願寺証如が音信として備前国にいる浦上政宗に書状・太刀・馬代を送る。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文5年 1536年 4月19日 |
北条氏綱が鶴岡八幡宮に参詣する。 |
出典:『快元僧都記』同年月日条 |
天文5年 1536年 4月24日 |
北条氏綱が玉縄城(相模国)に在城中。 |
出典:『快元僧都記』同年月日条 |
天文5年 1536年 4月-日 |
足利義晴が御殿を南禅寺門前に新造する。 |
出典:『巌助往年記』同年月条 |
天文5年 1536年 5月25日 |
本願寺証如が大坂本願寺寺内六町の「かまへ」を視察する。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文5年 1536年 6月2日 |
法華衆退治のことについて天皇に奏聞するよう延暦寺三院が天台座主に依頼する。 |
出典:(天文5年)6/2付延暦寺三院執行代等連署状(『延暦寺文書』47号) |
天文5年 1536年 6月10日 |
梅岳承芳が玄広恵探の籠る花倉城(駿河国)を攻め、恵探は普門寺(駿河国)に逃れるも自害する。 |
出典:- |