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文禄4年 1595年 4月9日
豊臣秀吉が子・秀頼の見舞いとして生駒内膳を遣わす。
出典:『駒井日記』同年月日条

文禄4年 1595年 4月10日
豊臣秀次聚楽第(山城国)より豊臣秀吉のいる伏見城(山城国)を訪れる。秀吉は能を催す。
出典:『駒井日記』同年月日条

文禄4年 1595年 4月13日
専誉が長谷寺において潅頂を修す。
出典:『多聞院日記』同年月日条

文禄4年 1595年 4月15日
豊臣秀次前田玄以と協議のうえ、三十三間堂において弓矢を射ることを禁止する。
出典:『駒井日記』同年月日条

文禄4年 1595年 4月16日
豊臣秀保が十津川(大和国)にて死去する。
出典:『多聞院日記』同年月日条、『駒井日記』同年月18日条

文禄4年 1595年 4月20日
蠣崎季広が松前(蝦夷国)にて死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第154「蠣崎季広」の項

文禄4年 1595年 5月10日
小笠原貞慶が古河(下総国)にて死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第188「清和源氏 義光流 小笠原」「小笠原貞慶」の項

文禄4年 1595年 6月5日
島津義弘が日本に帰国する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津義弘」の項

文禄4年 1595年 6月10日
松平忠直が生まれる。
出典:-

文禄4年 1595年 6月19日
豊臣秀吉佐竹義宣の所領の545760石の内、父・義重に50000石、佐竹義久に60000石、与力家来衆に168800石、公料10000石、義久代官得分1000石、石田三成増田長盛に各3000石を知行割するよう命じる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第129「清和源氏 義家流 佐竹」「佐竹義宣」の項

文禄4年 1595年 7月3日
豊臣秀次に謀叛の疑いがあるとして、豊臣秀吉前田玄以富田一白増田長盛石田三成を秀次のもとに遣わす。
出典:『太閤さま軍記のうち』

文禄4年 1595年 7月5日
島津彰久が巨済(朝鮮国)にて死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第109「島津彰久」の項

文禄4年 1595年 7月8日
豊臣秀吉が、謀叛の疑惑につき豊臣秀次高野山清巌寺に配流する。申刻(15-17時)、秀次が伏見城(山城国)を出立する。木下吉隆、羽田長門守、応其が秀次の供をする。秀次一行は玉水(山城国)に宿泊する。
夜、秀次の妻子が徳永寿昌邸に移され、前田玄以田中吉政が監視する。
出典:『太閤さま軍記のうち』、『太閤記』巻17「前関白秀次公之事」、『当代記』巻3同年月日条

文禄4年 1595年 7月9日
豊臣秀次が玉水(山城国)を出立し、奈良(大和国)の中院の井上源五郎邸に宿泊する。秀次のもとに見舞いの使者が多く訪れたが、不要である旨の触れを出すよう駒井重勝、益田照従に命じる。
出典:『太閤記』巻17「前関白秀次公之事」

文禄4年 1595年 7月13日
豊臣秀次謀叛事件につき、連座した秀次家臣の処刑が行われる。秀次家臣の切腹に石田三成前田玄以増田長盛が検使として立ち会う。秀次謀叛事件に連座した服部一忠上杉景勝に、一柳直秀は徳川家康に、船越景直は遠流の刑に処される。
出典:『太閤さま軍記のうち』

文禄4年 1595年 7月15日
豊臣秀次高野山青巌寺にて切腹する。秀次家臣・木村重茲が秀次に連座し大門寺(摂津国)にて切腹する。
出典:『当代記』巻3 同年月日条

文禄4年 1595年 7月-日
服部一忠が切腹する。
出典:-

文禄4年 1595年 8月12日
四辻公遠が死去する。
出典:『系図纂要』「四辻」

文禄4年 1595年 8月20日
庭田重保が死去する。
出典:『系図纂要』「庭田」

文禄4年 1595年 8月25日
今出川晴季豊臣秀次謀叛事件に連座し越後国に配流となる。
出典:『系図纂要』「今出川」

文禄4年 1595年 8月-日
妙寺村の本尊を応其覚栄が造像する。
出典:大日如来像朱書銘(和歌山県立博物館『没後四〇〇年 木食応其―秀吉から高野山を救った僧―」2008年10月)

文禄4年 1595年 9月21日
豊臣秀吉聖護院道澄大仏殿の住持に補任する。
出典:『言経卿記』同年月日条、『多聞院日記』同年月日条

文禄4年 1595年 9月21日
増田長盛が当麻寺に検地のうえ寺領として広瀬郡大塚村内で300石の寄附を伝える書状を発給する。
出典:(文禄4年)9月21日付増田長盛書状「当麻寺文書」(『大日本仏教全書』118)

文禄4年 1595年 9月25日
大仏殿経堂において大政所の父母である栄雲院道円・栄光院妙円の弔いとして八宗(真言宗・天台宗・律宗・禅宗・日蓮宗・浄土宗・時宗・浄土真宗)の僧100名ずつを召し寄せ、寅下刻(4時)より申刻(15-17時)まで法会を開催する。
出典:『言経卿記』同年月日条

文禄4年 1595年 9月-日
江が徳川秀忠に嫁ぐ。富田久次が江に供奉する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第397「富田久次」の項

文禄4年 1595年 10月18日
毛利秀就が安芸国広島城にて生まれる。
出典:-

文禄4年 1595年 11月3日
権少僧都に任じられる。
出典:『紫雲殿由縁記』

文禄4年 1595年 11月4日
豊臣秀吉が上洛する。
出典:『親綱卿記』

文禄4年 1595年 11月17日
豊臣秀吉の病につき青蓮院尊朝を導師として不動法が修される。
出典:『左大史孝亮記』同年月日条

文禄4年 1595年 11月27日
豊臣秀吉の病につき神楽が行われる。
出典:『左大史孝亮記』同年月日条

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