天文2年 1533年 8月24日 |
山科言継と言継と同道している飛鳥井雅綱が朝、八時前に朝妻(近江国)を発ち、七時分、坂本(近江国)の濱の坂井源三右衛門の所に到着する。出発時、勝幡(尾張国)よりの輿舁を帰す。 言継のもとへ坂本の大蓮坊、善養坊、仏頂坊が訪れる。 |
出典:『言継卿記』同年月日条 |
天文2年 1533年 8月25日 |
山科言継が坂本(近江国)より帰宅する。 藤三位が訪れる。西専庵、中御門、吉田侍従が訪れる。 中御門のもとを訪れ、母に10疋・毛抜1、中御門に毛抜1、その妻に毛抜1を贈る。柳原の妻に毛抜1、官務の妻に毛抜1を贈る。 |
出典:『言継卿記』同年月日条 |
天文2年 1533年 8月28日 |
山科言継のもとへ山井景範が訪れる。南都舞人4人(狛忠葛、狛俊葛、大神秀祐、大神行枝)の任官加階について申請があり。よって、披露をし、勅許が下りたこをを万里小路惟房と公敍に伝え口宣案を発給してもらい山井景雄に渡す。 |
出典:『言継卿記』同年月日条 |
天文2年 1533年 8月29日 |
山科言継のもとに建仁寺光明院(山城国)が訪れる。 |
出典:『言継卿記』同年月日条 |
天文2年 1533年 9月6日 |
瓦林氏が越水城(摂津国)を急襲し落とす。 |
出典:『細川両家記』、『陰徳太平記』巻8「摂州諸所合戦之事」 |
天文2年 1533年 9月16日 |
粟田宮領田地等について山村正次の押妨を停止する室町幕府奉行人奉書が高畠長信に発給される。署名は、飯尾貞広、飯尾為完。 |
出典:『兼右卿記』同年月18日条(『ビブリア』152号) |
天文2年 1533年 9月18日 |
粟田宮領田地等について山村正次の押妨を停止する16日付で高畠長信宛の室町幕府奉行人奉書について、その内容を長信が承知する。 |
出典:『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』152号) |
天文2年 1533年 9月23日 |
瓦林氏が籠る越水城(摂津国)を三好伊賀守、三好長虎、池田信正、伊丹氏が攻める。 |
出典:『細川両家記』、『陰徳太平記』巻8「摂州諸所合戦之事」 |
天文2年 1533年 9月24日 |
越水城(摂津国)に籠る瓦林氏が三好伊賀守、三好長虎、池田信正、伊丹氏に降伏する。 |
出典:『細川両家記』 |
天文2年 1533年 10月18日 |
官庁近辺にて細川晴元と細川晴国が戦い、晴元が勝利する。ただし、晴元勢も死傷者を多く出す。 |
出典:『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』152号) |
天文2年 1533年 -月-日 |
木沢長政が細川晴元に叛旗を翻した三好長直を説得し晴元に仕えさせる。 |
出典:『足利季世記』巻四 三好伊賀守合戦之事 |
天文2年 1533年 11月12日 |
上杉朝興が大磯・平塚(相模国)に軍勢を遣わし、中郡を焼き払う。 |
出典:『快元僧都記』同年月日条 |
天文2年 1533年 11月16日 |
木沢長政が大和衆を引き連れ、大坂本願寺近辺を焼き討ちする。 |
出典:『私心記』同年月日条 |
天文2年 1533年 12月7日 |
丹波国にいる細川晴国が軍勢(波多野氏足軽)を西京(山城国)に遣す。 |
出典:『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』152号) |
天文2年 1533年 12月8日 |
巳刻(9-11時)、細川晴元と細川晴国の軍勢が、本圀寺、四条法華堂、知恩寺にて戦う。晩に双方引き上げる。 |
出典:『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』152号) |
天文2年 1533年 -月-日 |
朝倉義景が生まれる。 |
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天文3年 1534年 -月-日 |
畠山昭高が生まれる。 |
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天文3年 1534年 -月-日 |
蒲生賢秀が生まれる。 |
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天文3年 1534年 -月-日 |
斎藤利三が生まれる。 |
出典:- |
天文3年 1534年 -月-日 |
石川家成が三河国西野にて生まれる。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第118「清和源氏 義時流 石川」「石川家成」の項 |
天文3年 1534年 1月17日 |
吉田兼右が清水寺に参詣する。 |
出典:『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』153号) |
天文3年 1534年 1月28日 |
吉田兼右が桑実寺(近江国)にいる足利義晴のもとに礼に赴く。 |
出典:『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』153号) |
天文3年 1534年 1月29日 |
吉田兼右が六角定頼のもとに赴く。定頼は2、3日酒を大いに飲み酔った状態であるという。兼右には六角義賢が応対する。 |
出典:『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』153号) |
天文3年 1534年 閏1月23日 |
鶴岡八幡宮造営奉行・大道寺盛昌が鶴岡八幡宮の造営の様子を巡検する。 |
出典:『快元僧都記』同年月日条 |
天文3年 1534年 3月-日 |
毛利元就、熊谷信直、天野隆重、香川光景・元忠兄弟が宮下野入道の籠る宮城(備後国)を攻める。 |
出典:『陰徳太平記』巻9「備後国宮城合戦ノ事」 |
天文3年 1534年 3月15日 |
金蓮寺の四足門の再興を認める綸旨が発給される。 |
出典:天文3年3月15日付後奈良天皇綸旨(「集古文書」) |
天文3年 1534年 4月6日 |
犬掛にて里見義堯と里見義豊が戦い、義堯が勝利し、義豊は自害する。 |
出典:『快元僧都記』同年月日条 |
天文3年 1534年 4月9日 |
厳助が多賀社に参詣する。 |
出典:『厳助大僧正記』同年月日条 |
天文3年 1534年 4月20日 |
正五位上に叙される。 |
出典:『公卿補任』天文14年 |
天文3年 1534年 4月22日 |
細川藤孝が生まれる。 |
出典:- |