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出典 :   


天正8年 1580年 11月24日
筒井順慶の命により矢田郡において郡山氏、辰巳氏を殺害する。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天正8年 1580年 11月25日
申刻(15-17時)、織田信長が河内国の郡代の草援肥後守、野尻氏を切腹させる。
出典:『多聞院日記』同年月26日条

天正8年 1580年 11月-日
薩摩国の八木越後守が青蓮院尊朝の書道の門人となる。
出典:『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』)

天正8年 1580年 12月19日
筒井順慶坂本城(近江国)にいる明智光秀のもとに向かう。
出典:『多聞院日記』同年月20日条

天正8年 1580年 12月21日
氏長者となる。
出典:『系図纂要』「東坊城」

天正8年 1580年 -月-日
近衛信基が信輔と改名する。
出典:『系図纂要』「近衛家」

天正8年 1580年 -月-日
従四位上に叙される。
出典:『公卿補任』

天正8年 1580年 -月-日
子・資淳が生まれる。
出典:『系図纂要』「柳原」

天正8年 1580年 -月-日
石川家成が家督を子・康通に譲る。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第118「清和源氏 義時流 石川」「石川家成」の項

天正9年 1581年 -月-日
大須賀忠政が生まれる。
出典:-

天正9年 1581年 -月-日
内藤正成が生まれる。
出典:-

天正9年 1581年 1月1日
安土城(近江国)の構の北、松原町の西の海端に馬場を築くべく普請を開始する。奉行は菅屋長頼堀秀政長谷川秀一
出典:『信長公記』巻14「御馬場普請の事」

天正9年 1581年 1月3日
武田勝頼高天神城(遠江国)の後詰をするとの風説につき、織田信忠岐阜城(美濃国)を発し、軍勢を率い清須城(尾張国)に入る。
出典:『信長公記』巻14「武田四郎高天神城後巻き横須賀城番手の事」

天正9年 1581年 1月6日
従三位に叙される。
出典:『公卿補任』

天正9年 1581年 1月8日
左義長につき、蒲生氏郷が爆竹を北方東一番におこなうよう命じられる。
出典:『信長公記』巻14 同年月日条

天正9年 1581年 1月11日
筒井順慶春日社に参詣する。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天正9年 1581年 1月12日
13日に織田信長が上洛する予定であるため上洛する。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天正9年 1581年 1月13日
大乗院尋憲が上洛する。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天正9年 1581年 1月23日
織田信長が京都にて馬揃を催すにつき、明智光秀に差配を命じる。
出典:『信長公記』巻14(1)「御爆竹の事」、『立入左京亮入道隆佐記』

天正9年 1581年 2月14日
宇喜多直家が死去する。
出典:-

天正9年 1581年 2月19日
織田信忠北畠信雄神戸信孝が上洛する。信忠、信雄は妙覚寺に宿泊する。
出典:『多聞院日記』同年月21日条、『信長公記』巻14(1)「御爆竹の事」

天正9年 1581年 2月20日
申刻(15-17時)、織田信長が上洛する。
出典:『多聞院日記』同年月21日条

天正9年 1581年 2月24日
柴田勝家柴田勝豊、柴田三左衛門尉が越前国より上洛し、織田信長に太刀(銘 国光)、馬代銀1000両、金300両、蝋燭1000挺、奉書紙1000束、綿1000把、絹500疋を進上する。信長は茶会にて勝家をもてなす。勝家は茶釜(銘 姥口)を所望し、信長手渡しで勝家に茶釜を賜う。
出典:『信長公記』巻14(1)「御爆竹の事」、『当代記』巻2同年月日条

天正9年 1581年 2月28日
織田信長が京都にて馬揃を行う。正親町天皇が閲覧できるよう内裏の東に南北8町の馬場を、禁裏東門築地の外に行宮を設える。信長は、辰刻(7-9時)、本能寺を出立し、室町通を上って一条を東に曲がり馬場へと入場する。参列者は、一番に丹羽長秀・摂津衆・若狭衆・革島氏、二番に蜂屋頼隆・河内衆・和泉衆・根来寺の内衆の大ヶ塚・佐野衆、三番に明智光秀・大和衆・上山城衆、四番に村井作右衛門・根来衆・上山城衆、次いで連枝衆として織田信忠・美濃衆・尾張衆、北畠信雄・伊勢衆、織田信包織田信孝津田信澄織田長益、織田又十郎、織田勘七郎、中根、織田竹千代、織田周防、織田孫十郎、公家衆として近衛前久正親町実彦烏丸光宣・日野中納言・高倉右衛門佐、細川昭元、細川藤賢、伊勢兵庫頭、一色左京権大夫、小笠原、越前衆として柴田勝家・柴田勝豊・柴田三左衛門・不破光治前田利家金森長近原長頼
出典:『多聞院日記』同年月日条、『信長公記』巻14(2)御馬揃への事

天正9年 1581年 3月9日
上杉景勝が小井手城(越中国)を攻める。
出典:『信長公記』巻14(2)「御馬揃への事」

天正9年 1581年 3月9日
織田信長が和泉国の知行方を改めるため、堀秀政を遣わす。
出典:『信長公記』巻14(2)「御馬揃への事」

天正9年 1581年 3月10日
織田信長安土城(近江国)に帰城する。
出典:『多聞院日記』同年月日条、『信長公記』巻14(2)御馬揃への事

天正9年 1581年 3月11日
筒井順慶春日社に参詣する。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天正9年 1581年 3月11日
蘆名家の家督として二階堂家より入ることになった蘆名盛隆が羽黒(陸奥国)に入る。その際、笈川の松本太郎が盛隆に謀反を起こす。盛隆は佐瀬河内守、平田を討伐に差し向け、太郎を討ち取る。
出典:『蘆名家記』巻第1「蘆名家滅亡濫觴之事」

天正9年 1581年 3月12日
佐々成政、神保長住が安土城(近江国)にいる織田信長のもとに鞍・鐙・轡・黒鎧を進上する。
出典:『信長公記』巻14(2)「御馬揃への事」

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