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天正10年 1582年 3月17日
羽柴秀吉が冠城(備中国)を攻める。
出典:『清正記』巻1

天正10年 1582年 3月18日
信濃国・甲斐国の侵攻のため霧カ城(美濃国)に在陣中とされる織田信長のもとに、本願寺顕如が音信として川那部右衛門を遣わす。
出典:『鷺森日記』同年月日条

天正10年 1582年 3月18日
羽柴秀吉が乃美宗勝・盛勝に寝返りを勧める書状を送る。
出典:天正10年3月18日付乃美宗勝・盛勝宛書状(『豊臣秀吉文書集』1巻-379号)

天正10年 1582年 3月18日
織田信長高遠城(信濃国)に移る。
出典:『信長公記』巻15(13)「中国表羽柴筑前守働きの事」

天正10年 1582年 3月19日
織田信長津田信澄菅屋長頼矢部家定堀秀政長谷川秀一福富秀勝、氏家行継、竹中重矩、原長頼蒲生氏郷細川忠興池田元助蜂屋頼隆、阿閉貞征、不破直光高山重友中川清秀明智光秀丹羽長秀筒井順慶等が諏訪の法花寺(信濃国)に陣取る。
出典:『信長公記』巻15(14)「人数備への事」

天正10年 1582年 3月20日
木曽義昌織田信長のもとに礼に訪れる。馬2疋を進上する。
出典:『信長公記』巻15(15)「木曽義政出仕の事」

天正10年 1582年 3月20日
夜、穴山梅雪織田信長のもとに礼に訪れる。馬を進上する。
出典:『信長公記』巻15(15)「木曽義政出仕の事」

天正10年 1582年 3月20日
小笠原信嶺が織田信長のもとに礼に訪れる。馬を進上する。信長は信嶺の功績を賞し、本領を安堵する。安堵を伝える使者は矢部家定森成利
出典:『信長公記』巻15(15)「木曽義政出仕の事」

天正10年 1582年 3月21日
松井友閑本願寺顕如に当年の礼として1腰1疋を贈る。使者は等見。
出典:『鷺森日記』同年月日条

天正10年 1582年 3月21日
筒井順慶織田信長による信濃国・甲斐国攻めより大和国に帰国する。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天正10年 1582年 3月21日
羽柴秀吉が家臣に知行を宛行う。
片桐貞隆に播磨国揖東郡越部の内で200石
高野七郎に播磨国多可郡比延村の内で45石、同郡越智4ヶ村の内で30石の計75石
水原吉一に播磨国神東郡舟津の内で100石
余田源太郎に播磨国明石郡名はたの内で120石
また、脇坂安治に播磨国布施畑の内で18石、同郡下津橋の内で14石を加増する。
出典:天正10年3月21日付豊臣秀吉領知宛行状(『豊臣秀吉文書集』1巻-380~384号)

天正10年 1582年 3月21日
北条氏政織田信長に馬、江川酒、白鳥等を贈る。使者は端山。取次は滝川一益
出典:『信長公記』巻15(15)「木曽義政出仕の事」

天正10年 1582年 3月22日
武田勝頼、武田信勝、武田信豊の首が京都に到着する。下御霊社に首をさらす。勧修寺晴豊が晒された首を見物する。
出典:『晴豊記』同年月日条、『言経卿記』同年月日条

天正10年 1582年 3月23日
山科言経北野社に参詣する。千本引接寺に花見に赴くが桜は咲いておらず。聖天に参詣し、妻の安産祈願をする。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正10年 1582年 3月23日
織田信長滝川一益に上野国および信濃国下二郡を給付する。
出典:『信長公記』巻15(16)「滝川左近、上野国拝領の事」

天正10年 1582年 3月23日
羽柴秀吉が冠城(備中国)を攻め、攻め落とす。
出典:『黒田家譜』巻2「孝高記」

天正10年 1582年 3月24日
山科言経北野社、聖天に参詣する。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正10年 1582年 3月24日
織田信長武田勝頼攻めに参陣した諸将に深志(信濃国)にて扶持米を与える。
出典:『信長公記』巻15(17)「諸卒に御扶持米下さるるの事」

天正10年 1582年 3月24日
小山田信茂が死去する。
出典:-

天正10年 1582年 3月25日
山科言経北野社、聖天に参詣する。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正10年 1582年 3月25日
小幡信貞が甲府(甲斐国)に在陣中の織田信忠のもとに礼に赴く。信貞は信忠に帰国を許され、上野国を与えられた滝川一益を伴い上野国に戻る。
出典:『信長公記』巻15(17)「諸卒に御扶持米下さるるの事」

天正10年 1582年 3月26日
越前国にいる山科言経の姉(松尾兵部丞の妻)が、音信として料紙2帖を、言経姉の子・松尾彦三郎が料紙1帖を言経に贈る。使者は愛宕山西坊配下の下総。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正10年 1582年 3月26日
北条氏政織田信長に馬の飼料として米1000俵を贈る。
出典:『信長公記』巻15(17)「諸卒に御扶持米下さるるの事」

天正10年 1582年 3月27日
山科言経が妻の安産祈願のため北野社に参詣する。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正10年 1582年 3月28日
織田信忠が甲府(甲斐国)より諏訪(信濃国)に移る。
出典:『信長公記』巻15(18)「諸勢帰陣の事」

天正10年 1582年 3月29日
山科言経に女児が生まれるもほどなくして死去する。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正10年 1582年 3月29日
織田信長が武田家の遺領の知行割を行う。甲斐国を川尻秀隆に、駿河国を徳川家康に、上野国一国・信濃国の小県郡・佐久郡を滝川一益に、信濃国の高井郡・水内郡・更科郡・埴科郡を森長可に、信濃国の木曽谷・安曇郡・筑摩郡を木曽義昌に、信濃国の伊那郡を毛利秀頼に、信濃国の諏訪郡を穴山梅雪に、岩村(美濃国)を団忠正に、金山米田島(美濃国)は森成利に給付する
出典:『信長公記』巻15(19)「御国わりの事」

天正10年 1582年 3月-日
黒田孝高が巣雲山城(備中国)を攻める。黒田長政が初陣する。
出典:『黒田長政事績』

天正10年 1582年 4月1日
伊達政宗が亀岡八幡宮(陸奥国伊達郡)に参詣する。伊達宗清の梁川城(陸奥国)に宿泊する。
出典:『性山公治家記録』同年月日条

天正10年 1582年 4月2日
織田信長が諏訪(信濃国)より大ヶ原(甲斐国)に移る。
出典:『信長公記』巻15(19)「御国わりの事」

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