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総年表


天正19年 1591年 7月19日
九戸政実成敗のため徳川家康江戸城(武蔵国)より出陣する。岩槻(武蔵国)に到着する。
徳川勢:井伊直政松平家清大久保忠世、中島盛直、三枝守英鈴木信光柳沢信俊[大久保忠世勢]、折井次忠[大久保忠世勢]、山高信直[大久保忠世勢]、青木信時[大久保忠世勢]、山寺信昌[大久保忠世勢]、山寺信光[大久保忠世勢]、小尾祐光小尾光重津金胤久跡部久清
出典:『家忠日記』同年月6日条、『寛政重修諸家譜』巻第21「松平家清」の項、同160「山高信直」の項、同160「山高親重」の項、同161「青木信時」の項、同162「山寺信昌」の項、同162「山寺信光」の項、同163「柳沢信俊」の項、同166「折井次忠」の項、同172「小尾祐光」の項、同173「津金胤久」の項、同173「跡部久清」の項、同201「中島盛直」の項、同1156「鈴木信光」の項

天正19年 1591年 7月24日
山科言経大仏殿にいる応其のもとを訪れる。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正19年 1591年 7月25日
松梅院禅永が宇喜多秀家のもとに赴く。樽2、3種を贈る。秀家より秀家の子を禅永の猶子にしたいとの申し出がある。
出典:『北野社家日記』同年月日条

天正19年 1591年 7月27日
徳川家康が白河(陸奥国)に在陣中であること、大森(陸奥国)にて豊臣秀次を待つことを、蒲生氏郷浅野長政に伝える。
出典:(天正19年)7月27日付徳川家康書状(『浅野家文書』58号)

天正19年 1591年 7月-日
九戸政実成敗につき、中新田城(陸奥国)に松平家広が在番する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第5「松平家広」の項

天正19年 1591年 8月5日
子・鶴松が死去する。秀吉は悲歎のあまり髻を切り、諸大名のそれに倣う。鶴松の葬礼が妙心寺にて執り行われ、秀吉は東福寺に籠る。
出典:『北野社家日記』同年月日条

天正19年 1591年 8月5日
豊臣鶴松が死去する。秀吉は悲歎のあまり髻を切り、諸大名のそれに倣う。鶴松の葬礼が妙心寺にて執り行われ、秀吉は東福寺に籠る。
出典:『北野社家日記』同年月日条

天正19年 1591年 8月6日
豊臣秀吉東福寺に赴く。
入唐のことについて西笑承兌、惟杏、有節瑞保に供をするように伝える。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

天正19年 1591年 8月18日
徳川家康岩出沢城(陸奥国)に入る。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第21「松平家清」の項、同160「山高信直」の項、同160「山高親重」の項、同161「青木信時」の項、同162「山寺信昌」の項、同162「山寺信光」の項、同163「柳沢信俊」の項、同173「津金胤久」の項、同201「中島盛直」の項、同1152「三枝守英」の項

天正19年 1591年 9月1日
豊臣秀次の命により、蒲生氏郷、秀次勢から堀尾吉晴徳川家康勢から井伊直政が九戸政実方の姉帯城、禰曽利城を攻め、落とす。
出典:(天正19年)9月14日付浅野長政書状写(『浅野家文書』61号)

天正19年 1591年 9月2日
豊臣秀次が九戸政実の籠る九戸城(陸奥国)を包囲し、堀際まで攻め寄せる。政実は秀次に降伏する。
出典:(天正19年)9月14日付浅野長政書状写(『浅野家文書』61号)

天正19年 1591年 9月8日
太田資正が片野(常陸国)にて死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第253「太田資正」の項

天正19年 1591年 9月18日
午刻(11-13時)、有節瑞保が大坂(摂津国)の足利昌山の屋敷に訪れる。冷麺、松茸吸物でもてなす。豊臣秀吉の入唐のことについて話す。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

天正19年 1591年 10月3日
福原元俊が死去する。
出典:-

天正19年 1591年 11月4日
北条氏直が死去する。
出典:-

天正19年 1591年 11月14日
豊臣秀吉より東寺の造営奉行を命じられた応其が東寺の塔を再興。一重分ができる。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正19年 1591年 11月29日
松浦隆信が生まれる。
出典:-

天正19年 1591年 12月5日
豊臣秀保北野社に参詣する。
出典:『北野社家日記』同年月日条

天正19年 1591年 12月19日
島津龍伯が薩摩国に帰国すべく大坂(摂津国)より出航する。
出典:(天正19年)閏1月10日付島津龍伯書状案(『島津家文書』3-1446号)

天正19年 1591年 12月27日
島津龍伯が細島に到着する。
出典:(天正19年)閏1月10日付島津龍伯書状案(『島津家文書』3-1446号)

天正19年 1591年 -月-日
兄・季満が勅勘を蒙り出奔したため、四辻家を相続する。
出典:『系図纂要』「四辻」

天正19年 1591年 -月-日
亮信が死去する。
出典:『横河堂舎並各坊世譜』「恵心院」の項(『天台宗全書』)

天正19年 1591年 -月-日
徳川家康松平康元に下総国内にて20000石を給付し、康元の所領は総じて40000石となる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第52「松平康元」の項

天正19年 1591年 -月-日
徳川家康荒川重世に武蔵国都筑郡・橘樹郡内にて400石を給付する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第84「荒川重世」の項

天正20年 1592年 -月-日
上田重秀が生まれる。
『寛政重修諸家譜』巻第215「上田重秀」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第215「上田重秀」の項

天正20年 1592年 -月-日
加藤明成山城国にて生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第773「加藤明成」の項

文禄1年 1592年 -月-日
松平定綱が生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第55「松平定綱」の項

文禄1年 1592年 -月-日
山内忠義が遠江国掛川城にて生まれる。
出典:-

文禄1年 1592年 -月-日
小倉吉正が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第398「小倉吉正」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第398「小倉吉正」の項

天正20年 1592年 1月3日
豊臣秀吉が近江国諸浦の水夫を全て調べ上げ、上・中・下のランク付を行い、浦ごとに5分の1ずつ徴発し、出征させるよう、芦浦観音寺・早川長政・石川光元に命じる。
出典:(天正20年)1月3日付豊臣秀吉朱印状(「居初寅夫家文書」)

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