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人 物 史
尊信
そんしん
生 没 年
?-天正16年(1588)6/2
出 身
-
俗 姓(氏)
-
俗 名
-
別 称
-
院 号 坊 号
-
父
-
母
-
兄 弟 姉 妹
-
所 属 寺 社
大覚寺
僧 位 僧 官
-
諡 号
-
師 匠
-
参 考 文 献
-
関 連 デ ー タ
-
尊信 年表
和暦
西暦
月
日
年齢
事項
出典
-
-
-
-
-
尊信
が生まれる。
-
元亀3年
1572
9
18
-
勝龍寺城(山城国)にいる
細川藤孝
のもとに
大覚寺尊信
が見舞いとして訪れる。吉田兼見とともに一献をする。
『兼見卿記』同年月日条
天正4年
1576
5
2
-
公家衆の
二条晴良
、
九条兼孝
、
一条内基
、西園寺公朝、
近衛信基
、三条西実枝、、
中山孝親
、
菊亭晴季
、
徳大寺公維
、
飛鳥井雅敦
、
山科言継
、
庭田重保
、高辻長雅、
葉室頼房
、
持明院基孝
、
柳原淳光
、
四辻公遠
、甘露寺経元、水無瀬兼成、高倉永相、
山科言経
、庭田重通、
勧修寺晴豊
、
正親町実彦
、中山親綱、松木宗房、中院通勝、富小路千夜叉(秀直)、唐橋尊松(在通)、
烏丸光宣
、五辻為仲、
冷泉為純
、雅敦、大炊御門経頼、日野輝資、竹内長治、
東坊城盛長
、
水無瀬親具
、白川雅朝、久我季通、西洞院時通、中御門宣教、
広橋兼勝
、高倉永孝、冷泉、
葉室長教
、四辻季満、高倉範国、万里小路充房、四条隆昌、橋本実勝、冷泉俊久、
薄以継
、五辻元仲、五条為名、門跡衆の仁和寺守理、
青蓮院尊朝
、妙法院常胤、
聖護院道澄
、
大覚寺尊信
、勧修寺聖信、
三宝院義演
、実相院が
妙覚寺
に滞在中の
織田信長
のもとに礼に訪れる。公家衆からの進物を
村井貞勝
が披露する。
山科言継
、
山科言経
、葉室頼房、
葉室長教
、冷泉、
薄以継
が二条晴良邸の跡地に建てた信長の屋敷を見物する。
『言経卿記』同年月日条、『兼見卿記』同年月日条
天正4年
1576
6
6
-
織田信長
が、石清水八幡宮より槙島(山城国)を経て、未刻(13-15時)に
妙覚寺
に入る。
二条晴良
・
昭実
父子、
近衛前久
・
信基
父子、
飛鳥井雅敦
、
勧修寺晴豊
、
烏丸光康
・
光宣
父子、
山科言継
・
言経
父子、
持明院基孝
、
中山孝親
、
庭田重保
、
葉室頼房
、
広橋兼勝
、
冷泉為純
、
薄以継
、
大乗院尋憲
、
一乗院尊政
、
大覚寺尊信
、
聖護院道澄
が訪れ、対面する。
『言継卿記』同年月日条、『兼見卿記』同年月日条、『言経卿記』同年月日条
天正5年
1577
8
12
-
織田信長
の京都の屋敷の北側の堀普請につき、任助、
大覚寺尊信
、上賀茂郷、伏見伊勢三郎、吉田兼見に人足を賦課する。
『兼見卿記』同年月日条
天正13年
1585
閏8
26
-
羽柴秀吉
が
施薬院全宗
のもとで茶湯を催す。全宗の所に
近衛龍山
、
大覚寺尊信
、
大乗院尋憲
、
一条内基
、梶井宮最胤、
飛鳥井雅春
、日野輝資、
烏丸光宣
、吉田兼見が参礼として訪れる。龍山等が秀吉に進上した菓子を
前田玄以
が披露する。
『兼見卿記』同年月日条
天正16年
1588
6
2
-
尊信
が死去する。
-
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