人 物 史

柳原淳光 やなぎわら あつみつ
生 没 年天文10年(1541)7/30-慶長2年(1597)8/11
出 身-幼 名-
別 称将光
法 名-
戒 名徳雲院道誉心寂
菅章長
柳原資定[養父]
光継の娘
兄 弟 姉 妹-
配 偶 者-
柳原資淳、柳原英光
官 位右兵衛佐、越中介、権中納言、権大納言
氏 族 門 流-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
柳原淳光 年表
天文10年 1541年 7月30日 1歳
柳原淳光が生まれる。
出典:『系図纂要』「柳原」

天文16年 1547年 6月26日 7歳
元服する。宮内権大輔となり従五位上に叙される。
出典:『系図纂要』「柳原」

天文16年 1547年 閏7月3日 7歳
左兵衛佐となる。
出典:『系図纂要』「柳原」

天文17年 1548年 3月23日 8歳
越中介となる。
出典:『系図纂要』「柳原」

- -年 -月-日 10歳
柳原資定の後嗣となる。
出典:『系図纂要』「柳原」

弘治1年 1555年 10月23日 15歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
出典:-

弘治4年 1558年 2月28日 18歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
出典:-

永禄6年 1563年 7月6日 23歳
左大弁となる。
出典:『系図纂要』「柳原」

永禄11年 1568年 12月18日 28歳
権中納言となる。
出典:『系図纂要』「柳原」

元亀1年 1570年 4月23日 30歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

天正1年 1573年 7月28日 33歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正4年 1576年 5月2日 36歳
公家衆の二条晴良九条兼孝一条内基、西園寺公朝、近衛信基、三条西実枝、、中山孝親菊亭晴季徳大寺公維飛鳥井雅敦山科言継庭田重保、高辻長雅、葉室頼房持明院基孝柳原淳光四辻公遠、甘露寺経元、水無瀬兼成、高倉永相、山科言経、庭田重通、勧修寺晴豊正親町実彦、中山親綱、松木宗房、中院通勝、富小路千夜叉(秀直)、唐橋尊松(在通)、烏丸光宣、五辻為仲、冷泉為純、雅敦、大炊御門経頼、日野輝資、竹内長治、東坊城盛長水無瀬親具、白川雅朝、久我季通、西洞院時通、中御門宣教、広橋兼勝、高倉永孝、冷泉、葉室長教、四辻季満、高倉範国、万里小路充房、四条隆昌、橋本実勝、冷泉俊久、薄以継、五辻元仲、五条為名、門跡衆の仁和寺守理、青蓮院尊朝、妙法院常胤、聖護院道澄大覚寺尊信、勧修寺聖信、三宝院義演、実相院が妙覚寺に滞在中の織田信長のもとに礼に訪れる。公家衆からの進物を村井貞勝が披露する。
山科言継山科言経、葉室頼房、葉室長教、冷泉、薄以継が二条晴良邸の跡地に建てた信長の屋敷を見物する。
出典:『言経卿記』同年月日条、『兼見卿記』同年月日条

天正6年 1578年 3月30日 38歳
養父・資定が死去する。
出典:『系図纂要』「柳原」

天正7年 1579年 11月17日 39歳
権大納言となる。
出典:『系図纂要』「柳原」

天正8年 1580年 -月-日 40歳
子・資淳が生まれる。
出典:『系図纂要』「柳原」

天正13年 1585年 8月19日 45歳
今出川晴季・吉田兼見・柳原淳光・中山慶親・勧修寺晴豊・白川雅朝が仙洞御所作事所にいた前田玄以のもとを訪れ、伊勢遷宮の件で内宮・外宮の申状を伝える。玄以は羽柴秀吉の裁可を仰ぐべきと回答する。
出典:『兼見卿記』同年月日条

天正13年 1585年 11月22日 45歳
子・英光が生まれる。
出典:『系図纂要』「柳原」

文禄1年 1592年 12月8日 52歳
「天正」より「文禄」に年号が改まる。
出典:-

慶長1年 1596年 10月27日 56歳
「文禄」より「慶長」に元号が改まる。
出典:-

慶長2年 1597年 8月11日 57歳
柳原淳光が死去する。
出典:『系図纂要』「柳原」

慶長18年 1613年 8月11日 
准大臣を追贈される。
出典:『系図纂要』「柳原」

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