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慶長2年 1597年 7月16日
15日夜より16日にかけて、巨済島沖の漆川梁に停泊中の朝鮮水軍を、藤堂高虎脇坂安治加藤嘉明島津義弘島津豊久秋月種長高橋元種毛利高政が攻める。朝鮮水軍の三道水軍統制使・元均が戦死する。
出典:浅野幸長蔚山籠城以下万事覚書(『浅野家文書』255号)、『朝鮮記 乾』

慶長2年 1597年 7月-日
朝鮮国攻めにつき、諸将の攻め口を定める。船手は熊谷直盛・早川長政を奉行に、毛利秀元九鬼守隆寺沢広高長宗我部元親、池田秀氏、小川祐滋、中川秀成伊東祐兵立花宗茂脇坂安治、来島通総、菅三郎兵衛、菅右衛門八郎、宍戸元続安国寺恵瓊を宛て、陸路北方は太田一吉を奉行に加藤清正を宛て、陸路中方は竹中重利を奉行に、加藤嘉明蜂須賀家政生駒親正、毛利吉成、毛利勝永、島津豊久秋月種長高橋元種、相良頼房を宛て、陸路南方は毛利高政を奉行に、宇喜多秀家小西行長藤堂高虎島津義弘を宛てる。
出典:『朝鮮記 乾』

慶長2年 1597年 7月17日
文禄5年閏7月13日の大地震により大破した大仏にかわり大仏殿に安置する善光寺阿弥陀如来(関寺阿弥陀堂に安置)が大津(近江国)に到着する。応其は大津から大仏殿に遷座するにあたり諸門跡の行列を編成の差配をする。
大仏殿に到着後、新造の宝塔に善光寺阿弥陀如来を安置する。
出典:『義演准后日記』同年月日条

慶長2年 1597年 7月18日
応其の差配のもと善光寺阿弥陀如来が大津(近江国)から大仏殿に遷座する。その行列には、天台宗・真言宗の僧侶各々50口を先頭に応其、警護の浅野長政が続き、さらに照高院道澄・妙法院常胤・三宝院義演・聖護院興意・梶井宮応胤・曼殊院覚円といった諸門跡が続く。行列を一目見ようと貴賤が群集し、伏見の大名衆は桟敷を構えて行列を眺めたという。
大仏殿到着後は宝塔に善光寺阿弥陀如来が安置される。
この日より、「大仏」を改め「善光寺如来堂」と号す(『鹿苑日録』)。
西笑承兌は大仏は織田信長、大仏を倒した地震は明智光秀、善光寺如来は豊臣秀吉になぞらえる。
出典:『義演准后日記』・『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 7月20頃日
浅野幸長勢が西生浦に到着する。
出典:浅野幸長家臣某蔚山籠城覚書(『浅野家文書』80号)

慶長2年 1597年 7月24日
ルソン国より使者が到来し、豊臣秀吉に黒象1双、銀盤・銀椀等16種を贈る。伏見城(山城国)内にてルソン国の使者をもてなすため能3番を催す。徳川家康上杉景勝前田利長が相伴する。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 7月25日
方廣寺に参詣者が大いに集まったという。
出典:『義演准后日記』同年月日条

慶長2年 1597年 7月26日
仙石秀久が名を盛長と改める。
出典:『北野日記』同年月日条(『北野天満宮史料』北野天満宮史料刊行会、北野天満宮、1980年)

慶長2年 1597年 7月27日
方廣寺に参詣者が大いに集まり、善光寺阿弥陀如来を見に来た人々相手の市も立ったという。
出典:『義演准后日記』同年月日条

慶長2年 1597年 7月28日
豊臣秀吉が、7月18日に大仏殿に遷座した善光寺阿弥陀如来を見物するべく大仏殿に参詣する。
出典:『義演准后日記』同年月日条

慶長2年 1597年 8月1日
西笑承兌伏見城(山城国)に出仕する。承兌のもとに徳川家康前田利家織田常真が訪れる。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 8月3日
豊臣秀吉秀頼父子が参内する。秀頼は四位・中将に叙される。
禁裏御所の東に造営した「新城」がおおよそ完成したという。この新城はさらに南西方面に拡張させるという。
出典:『義演准后日記』同年月日条

慶長2年 1597年 8月4日
バタン国より使者が豊臣秀吉のもとに到来し、エンブ鳥1匹、インコ1双、水瓶却老薬1瓶、龍脳1瓶、華席1枚、帯2筋、沈香10斤、丁香20斤、胡椒200斤、スソウ1000斤が贈られる。バタン国封海王より書札あり。使者は船頭の沈徳。秀吉がバタン国よりの献納物のうち胡椒2斤、丁香10両を西笑承兌に下付する。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 8月5日
バタン国への返書の草案を西笑承兌が作成し、豊臣秀吉に見せる。徳川家康が訪れる。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 8月6日
戸川秀安が死去する。
出典:『戸川記』上(近藤瓶城編『改定史籍集覧 第25冊』近藤出版部、1902年)

慶長2年 1597年 8月8日
バタン国への返書に用いる料紙が西笑承兌のもとに到来する。増田長盛のもとに赴き相談する。長盛より返書に用いる包紙の下絵を用意するように言われる。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 8月8日
北条氏邦が死去する。
出典:-

慶長2年 1597年 8月9日
豊臣秀吉が、西笑承兌作成したバタン国への返書を確認のうえ、承兌に金印を捺させ長束正家に渡す。
相国寺鹿苑院の西笑承兌足利昌山に帷1を贈る。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 8月9日
相国寺鹿苑院の西笑承兌足利昌山に帷1を贈る。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 8月9日
豊臣秀吉が、西笑承兌作成したバタン国への返書を確認のうえ、承兌に金印を捺させ長束正家に渡す。
朝鮮より注進がある。唐島に駐屯し豊臣軍の軍船を止めていた朝鮮軍に対し、小西行長藤堂高虎脇坂安治加藤嘉明島津忠恒島津義弘が唐島に夜襲をしかけ、数千人を討ち取るとともに船を焼く。この注進を受け、秀吉は朝鮮に出陣するとの意向を示す。徳川家康上杉景勝前田利家を呼び出す。利家は病のため召しに応じることができず。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 8月10日
西笑承兌徳川家康のもとを訪れる。『群書治要』第8巻を借用する。家康の前で同書を読む。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 8月11日
柳原淳光が死去する。
出典:『系図纂要』「柳原」

慶長2年 1597年 8月12日
照高院道澄西笑承兌に中国佐世扇に讃3首の清書を依頼され清書する。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 8月12日
宇喜多秀家太田一吉藤堂高虎脇坂安治小西行長竹中重利加藤嘉明島津義弘、来島通総、菅三郎兵衛、菅右衛門八郎、蜂須賀家政毛利高政生駒親正、生駒一正、毛利吉成、毛利勝永、島津豊久秋月種長高橋元種、相良頼房、伊東祐兵が明軍・楊元、朝鮮軍・李福男が籠る南原城を包囲する。
日本勢:宇喜多秀家、太田一吉、藤堂高虎、脇坂安治、小西行長、竹中重利、加藤嘉明、島津義弘、来島通総、菅三郎兵衛、菅右衛門八郎、蜂須賀家政、毛利高政、生駒親正、生駒一正、毛利吉成、毛利勝永、島津豊久秋月種長、高橋元種、相良頼房、伊東祐兵、宇喜多詮家[宇喜多秀家勢]、戸川達安[宇喜多秀家勢]、藤堂忠光[藤堂高虎勢]、藤堂高刑[藤堂高虎勢]、藤堂良勝[藤堂高虎勢]。
出典:『朝鮮記 乾』

慶長2年 1597年 8月13日
伏見城(山城国)の本丸で豊臣秀吉西笑承兌に対面する。晩飯をともにする。
前田利家より索麺1籠、杉原3束が贈られる。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 8月13日
伏見城(山城国)の本丸で豊臣秀吉西笑承兌に対面する。晩飯をともにする。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 8月13日
前田利家西笑承兌に索麺1籠、杉原3束を贈る。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 8月13日
宇喜多秀家太田一吉藤堂高虎脇坂安治小西行長竹中重利加藤嘉明島津義弘、来島通総、菅三郎兵衛、菅右衛門八郎、蜂須賀家政毛利高政生駒親正、生駒一正、毛利吉成、毛利勝永、島津豊久秋月種長高橋元種、相良頼房、伊東祐兵が明軍・楊元、朝鮮軍・李福男が籠る南原城を攻める。
日本勢:宇喜多秀家、太田一吉、藤堂高虎、脇坂安治、小西行長、竹中重利、加藤嘉明、島津義弘、来島通総、菅三郎兵衛、菅右衛門八郎、蜂須賀家政、毛利高政、生駒親正、生駒一正、毛利吉成、毛利勝永、島津豊久秋月種長、高橋元種、相良頼房、伊東祐兵、宇喜多詮家[宇喜多秀家勢]、戸川達安[宇喜多秀家勢]、藤堂忠光[藤堂高虎勢]、藤堂高刑[藤堂高虎勢]、藤堂良勝[藤堂高虎勢]。
出典:『朝鮮記 乾』

慶長2年 1597年 8月14日
宇喜多秀家太田一吉藤堂高虎脇坂安治小西行長竹中重利加藤嘉明島津義弘、来島通総、菅三郎兵衛、菅右衛門八郎、蜂須賀家政毛利高政生駒親正、生駒一正、毛利吉成、毛利勝永、島津豊久秋月種長高橋元種、相良頼房、伊東祐兵が明軍・楊元、朝鮮軍・李福男が籠る南原城を攻める。
日本勢:宇喜多秀家、太田一吉、藤堂高虎、脇坂安治、小西行長、竹中重利、加藤嘉明、島津義弘、来島通総、菅三郎兵衛、菅右衛門八郎、蜂須賀家政、毛利高政、生駒親正、生駒一正、毛利吉成、毛利勝永、島津豊久秋月種長、高橋元種、相良頼房、伊東祐兵、宇喜多詮家[宇喜多秀家勢]、戸川達安[宇喜多秀家勢]、藤堂忠光[藤堂高虎勢]、藤堂高刑[藤堂高虎勢]、藤堂良勝[藤堂高虎勢]。
出典:『朝鮮記 乾』

慶長2年 1597年 8月15日
宇喜多秀家太田一吉藤堂高虎脇坂安治小西行長竹中重利加藤嘉明島津義弘、来島通総、菅三郎兵衛、菅右衛門八郎、蜂須賀家政毛利高政生駒親正、生駒一正、毛利吉成、毛利勝永、島津豊久秋月種長高橋元種、相良頼房、伊東祐兵が明軍・楊元、朝鮮軍・李福男が籠る南原城を攻め、この城を落とす。
日本勢:宇喜多秀家、太田一吉、藤堂高虎、脇坂安治、小西行長、竹中重利、加藤嘉明、島津義弘、来島通総、菅三郎兵衛、菅右衛門八郎、蜂須賀家政、毛利高政、生駒親正、生駒一正、毛利吉成、毛利勝永、島津豊久秋月種長、高橋元種、相良頼房、伊東祐兵、宇喜多詮家[宇喜多秀家勢]、戸川達安[宇喜多秀家勢]、藤堂忠光[藤堂高虎勢]、藤堂高刑[藤堂高虎勢]、藤堂良勝[藤堂高虎勢]。
出典:『相国考記』同年9月16日条(相国寺史料編纂委員会編『相国寺史料』第1巻、思文閣出版、1984年)、『朝鮮記 乾』

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