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史料にみえる人物の呼称
石高から軍役算出
軍役から石高算出
地 名 の 歴 史
甲斐国[国]
かいのくに
初 見
-
国
甲斐国
郡
山梨郡、八代郡、巨摩郡、都留郡
荘 園
-
中 世 高
-
近 世 領 主
-
近 世 石 高
-
鎮 守
-
神 社
-
寺 院
-
城 郭
甲斐国の城郭
参 考 文 献
-
関 連 デ ー タ
-
甲斐国[国] 年表
大永1年 1521年 11月3日
武田信玄
が生まれる。
出典:-
大永1年 1521年 12月23日
飯田河原(甲斐国)にて福島正成と
武田信虎
が戦い、信虎が勝利する。
出典:『関八州古戦録』巻1「上杉憲政武州河越城責ノ事」
天文7年 1538年 -月-日
武田晴信
が父・
信虎
の甲斐国帰国を阻み放逐する。
出典:『享禄以来年代記』同年条(『続群書類従』第29輯下)
永禄4年 1561年 9月10日
川中島(信濃国)にて
武田信玄
と
上杉政虎
が戦う。武田勢:
武田信繁
(戦死)、
室住虎光
(戦死)、
山本晴幸
(戦死)、
初鹿野忠次
(戦死)、油川信吉[戦死]、
田沢正俊
(戦死)、山高親之(信繁の首級奪還)。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第147「油川信吉」、同巻第150「田沢正俊」の項、同巻第160「山高親之」の項
元亀4年 1573年 4月12日
武田信玄
が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第145「武田晴信」の項
天正3年 1575年 5月20日
織田信長
が
酒井忠次
に信長馬廻の鉄砲衆500、
金森長近
、佐藤六左衛門、青山新七息、賀藤市左衛門とともに、鳶之巣山(三河国)に回り長篠城(三河国)を包囲する武田勢を襲撃するよう命じる。戌刻(19-21時)、酒井忠次が鳶之巣山の武田勢に向けて出陣する。
出典:『信長公記』巻8(4)「三州長篠御合戦の事」
天正3年 1575年 5月21日
辰刻(3-5時)、長篠城(三河国)を包囲していた
武田勝頼
勢に、鳶ノ巣山(三河国)より
酒井忠次
が襲撃する。
酒井忠次勢:忠次、
酒井家次
、
松平家忠
、松平康忠、
松平伊忠
(戦死)・
松平家忠
、
松平清宗
、
小栗忠政
[雨宮家次討取]。
武田勢:小山田昌行、雨宮家次(戦死)、屋代政長(戦死)、
三枝昌貞
(戦死)。
忠次の襲撃を受け、勝頼が前面に展開する
織田信長
・
徳川家康
の軍勢に攻めかかるが、織田勢の鉄砲衆1000が、攻め寄せる武田勢を鉄砲にて悉く討ち取る。勝頼は鳳来寺方面に撤退する。『兼見卿記』には勝頼の敗北と「数千騎討死」が記される。
織田勢:
佐々成政
、
前田利家
、
野々村正成
、
福富秀勝
、
塙直政
、
大島光義
。
徳川勢:
石川数正
、
大久保忠世
、
大久保忠佐
、
大須賀康高
、
鳥居元忠
、
平岩親吉
、
松平信一
、
松平忠正
、
松平康安
、
松平康元
、
酒井正親
、
榊原康政
、
本多忠勝
、
渥美友勝
、
岩瀬氏定
(戦死)、
加藤正次
。
武田勢:
馬場信春
(戦死)、
山県昌景
(戦死)、土屋貞綱(戦死)、
土屋昌続
(戦死)、内藤昌豊(戦死)、油川信次(戦死)、小幡(戦死)、横田備中(戦死)、
武田信実
(戦死)、
真田信綱
(戦死)、
真田昌幸
、甘利藤蔵(戦死)、杉原日向(戦死)、
名和宗安
(戦死)、仁科(戦死)、高坂又八郎(戦死)、奥津(戦死)、岡辺(戦死)、恵光寺(戦死)、根津甚平(戦死)、和気善兵衛(戦死)、
米倉重継
(戦死)、青木信定(戦死)、
横手信俊
、
津金胤時
(戦死)、
跡部久直
(戦死)、
酒依昌光
(戦死)。
出典:『信長公記』巻8(4)「三州長篠御合戦の事」、『寛政重修諸家譜』巻第5「松平忠正」の項、同7「松平信一」の項、同23「松平家忠」の項、同26「松平康安」の項、同29「松平伊忠」の項、同29「松平家忠」の項、同45「小栗忠政」の項、同52「松平康元」の項、同59「酒井正親」の項、同65「酒井家次」の項、同73「大島光義」の項、同87「土屋昌次」の項、同100「榊原康政」の項、同162「青木信定」の項、同163「柳沢信俊」の項、同169「米倉宗継」の項、同173「津金胤時」の項、同173「跡部久直」の項、同239「雨宮家次」の項、同237「屋代政長」の項、同777「加藤正次」の項、同963「岩瀬氏定」の項
天正10年 1582年 6月18日
岩窪(甲斐国)にて、武田家旧臣が
川尻秀隆
を襲撃し、三井弥一郎が秀隆を討ち取る。
出典:-
天正10年 1582年 7月9日
徳川家康
が府中(甲斐国)に到着する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第29「松平家忠」の項
天正10年 1582年 10月29日
徳川家康
と
北条氏直
が和睦する。
出典:『家忠日記』同年月日条
天正17年 1589年 10月10日
豊臣秀吉
が諸国に、来年3月、
北条氏政
を成敗するべく出陣するので、軍役として五畿内衆は半役、中国衆は4人役、四国以東尾張以西衆は6人役、北国は6人半役、遠江国・三河国・駿河国・甲斐国・信濃国は7人役を供出するようと命じる。
出典:小瀬甫庵『太閤記』巻第12「来春関東陣御軍役之事」
天正18年 1590年 7月13日
豊臣秀吉
が
小田原城
(相模国)に入城する。
秀吉が駿河国・遠江国・三河国・甲斐国・信濃国への移封を拒否した
織田信雄
の所領を改易する。
秀吉が
加藤光泰
に甲斐国240000石を給付する。
出典:『小田原日記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第774「加藤光泰」の項
慶長8年 1603年 12月5日
徳川家康
が、子・
徳川五郎太郎
に甲斐国を、子・
徳川長福丸
に水戸(常陸国)200000石を、子・
松平忠輝
に川中島(信濃国)を給付する。
出典:『当代記』巻3同年月日条
慶長12年 1607年 閏4月26日
徳川家康
が
徳川義直
を甲府(甲斐国)より
名古屋
(尾張国)に転封する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第161「青木信安」の項
慶長18年 1613年 4月25日
大久保長安
が死去する。
出典:『駿府記』同年月日条
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