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石高から軍役算出
軍役から石高算出
地 名 の 歴 史
遠江国[国]
とおとうみのくに
初 見
-
国
遠江国
郡
長上郡、長下郡、浜名郡、敷智郡、引佐郡、麁玉郡、磐田郡、豊田郡、山名郡、周智郡、山香郡、佐野郡、城飼郡、城東郡、榛原郡
荘 園
-
中 世 高
-
近 世 領 主
-
近 世 石 高
-
鎮 守
-
神 社
-
寺 院
-
城 郭
遠江国の城郭
参 考 文 献
-
関 連 デ ー タ
-
遠江国[国] 年表
永禄3年 1560年 5月19日
桶狭間にて
織田信長
が
今川義元
を襲撃し、義元が戦死する。義元は毛利良勝が討ち取る。
織田信長勢:
森可成
、
前田利家
。
今川義元勢:
松平宗次
(戦死)、鈴木重村。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第16「松平宗次」の項、同126「森可成」の項、同1154「鈴木重村」の項
永禄12年 1569年 1月20日
天王山(遠江国)にて
徳川家康
と
今川氏真
が戦う。
出典:『当代記』同年月日条
元亀3年 1572年 12月22日
三方ヶ原(遠江国)にて
武田信玄
と
徳川家康
が戦い、信玄が勝利する。
武田信玄勢:
真田昌幸
、
土屋昌続
、
横手信俊
[山県昌景勢]、山高信親(戦死)。
徳川家康勢:
酒井忠次
、
酒井正親
、
榊原康政
[先鋒]、
小栗忠政
、
鳥居忠広
(戦死)・
野々山元政
(戦死)、石川正俊(戦死)、
渥美友勝
、加藤正信(戦死)、加藤比禰丞(戦死)。
織田勢:平手汎秀(戦死)。
浜松城
(遠江国)留守居衆:
石川家成
、小笠原広重。
出典:『信長公記』巻5(4)「身方が原合戦の事」、『寛政重修諸家譜』巻第23「松平家忠」の項、同26「松平康安」の項、同45「小栗忠政」の項、同52「松平康元」の項、同59「酒井正親」の項、同65「酒井忠次」の項、同87「土屋昌次」の項、同100「榊原康政」の項、同118「石川家成」の項、同122「石川正俊」の項、同110「野々山元政」の項、同160「山高信親」の項、同163「柳沢信俊」の項、同191「小笠原広重」の項、同777「加藤比禰丞」の項、同777「加藤正信」の項、同961「渥美友勝」の項
天正2年 1574年 6月19日
織田信長
が今切渡より
高天神城
(遠江国)に向かおうとする。
小笠原氏助が
武田勝頼
に内通し、武田勢を高天神城に引き入れたことから、同城は勝頼が落とす。
高天神城の落城を知った信長は
吉田城
(三河国)に引き上げる。
出典:『信長公記』巻7(7)「高天神城小笠原与八郎謀叛の事」
天正3年 1575年 5月20日
織田信長
が
酒井忠次
に信長馬廻の鉄砲衆500、
金森長近
、佐藤六左衛門、青山新七息、賀藤市左衛門とともに、鳶之巣山(三河国)に回り長篠城(三河国)を包囲する武田勢を襲撃するよう命じる。戌刻(19-21時)、酒井忠次が鳶之巣山の武田勢に向けて出陣する。
出典:『信長公記』巻8(4)「三州長篠御合戦の事」
天正3年 1575年 5月21日
辰刻(3-5時)、長篠城(三河国)を包囲していた
武田勝頼
勢に、鳶ノ巣山(三河国)より
酒井忠次
が襲撃する。
酒井忠次勢:忠次、
酒井家次
、
松平家忠
、松平康忠、
松平伊忠
(戦死)・
松平家忠
、
松平清宗
、
小栗忠政
[雨宮家次討取]。
武田勢:小山田昌行、雨宮家次(戦死)、屋代政長(戦死)、
三枝昌貞
(戦死)。
忠次の襲撃を受け、勝頼が前面に展開する
織田信長
・
徳川家康
の軍勢に攻めかかるが、織田勢の鉄砲衆1000が、攻め寄せる武田勢を鉄砲にて悉く討ち取る。勝頼は鳳来寺方面に撤退する。『兼見卿記』には勝頼の敗北と「数千騎討死」が記される。
織田勢:
佐々成政
、
前田利家
、
野々村正成
、
福富秀勝
、
塙直政
、
大島光義
。
徳川勢:
石川数正
、
大久保忠世
、
大久保忠佐
、
大須賀康高
、
鳥居元忠
、
平岩親吉
、
松平信一
、
松平忠正
、
松平康安
、
松平康元
、
酒井正親
、
榊原康政
、
本多忠勝
、
渥美友勝
、
岩瀬氏定
(戦死)、
加藤正次
。
武田勢:
馬場信春
(戦死)、
山県昌景
(戦死)、土屋貞綱(戦死)、
土屋昌続
(戦死)、内藤昌豊(戦死)、油川信次(戦死)、小幡(戦死)、横田備中(戦死)、
武田信実
(戦死)、
真田信綱
(戦死)、
真田昌幸
、甘利藤蔵(戦死)、杉原日向(戦死)、
名和宗安
(戦死)、仁科(戦死)、高坂又八郎(戦死)、奥津(戦死)、岡辺(戦死)、恵光寺(戦死)、根津甚平(戦死)、和気善兵衛(戦死)、
米倉重継
(戦死)、青木信定(戦死)、
横手信俊
、
津金胤時
(戦死)、
跡部久直
(戦死)、
酒依昌光
(戦死)。
出典:『信長公記』巻8(4)「三州長篠御合戦の事」、『寛政重修諸家譜』巻第5「松平忠正」の項、同7「松平信一」の項、同23「松平家忠」の項、同26「松平康安」の項、同29「松平伊忠」の項、同29「松平家忠」の項、同45「小栗忠政」の項、同52「松平康元」の項、同59「酒井正親」の項、同65「酒井家次」の項、同73「大島光義」の項、同87「土屋昌次」の項、同100「榊原康政」の項、同162「青木信定」の項、同163「柳沢信俊」の項、同169「米倉宗継」の項、同173「津金胤時」の項、同173「跡部久直」の項、同239「雨宮家次」の項、同237「屋代政長」の項、同777「加藤正次」の項、同963「岩瀬氏定」の項
天正6年 1578年 2月10日
青山忠俊
が
遠江国
敷知郡
浜松
にて生まれる。
出典:-
天正6年 1578年 10月28日
遠江国にて大地震が起こる。
出典:『家忠日記』同年月日条
天正6年 1578年 10月29日
遠江国にて地震が起こる。
出典:『家忠日記』同年月日条
天正6年 1578年 11月1日
申刻(15-17時)、遠江国にて地震が起こる。
出典:『家忠日記』同年月日条
天正6年 1578年 11月2日
申刻(15-17時)、遠江国にて地震が起こる。
出典:『家忠日記』同年月日条
天正7年 1579年 9月15日
松平信康
が父・
家康
の命により二俣(遠江国)にて自害する。
出典:『当代記』巻2同年月日条
天正8年 1580年 6月10日
徳川家康
が、
高天神城
(遠江国)を攻めるべく、
浜松城
(遠江国)を出陣し、横須賀(遠江国)に陣取る。
出典:『家忠日記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第29「松平家忠」の項
天正9年 1581年 3月22日
徳川家康
が
岡部元信
の籠る
高天神城
(遠江国)を攻める。徳川勢が元信を討ち取り、家康は高天神城を落とす。
徳川家康勢:
徳川家康
[大将]、
松平康元
、
松平康次
、
松平清宗
、
松平康安
、
小栗忠政
、成瀬久次、
渥美友勝
、板倉定重(戦死)、
岩瀬氏則
(首級5)。
岡部元信勢:
岡部元信
[大将](戦死)。
出典:『当代記』巻2同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第16「松平康次」の項、同21「松平清宗」の項、同26「松平康安」の項、同52「松平康元」の項、同81「板倉定重」の項、同961「渥美友勝」の項、同963「岩瀬氏則」の項
天正17年 1589年 10月10日
豊臣秀吉
が諸国に、来年3月、
北条氏政
を成敗するべく出陣するので、軍役として五畿内衆は半役、中国衆は4人役、四国以東尾張以西衆は6人役、北国は6人半役、遠江国・三河国・駿河国・甲斐国・信濃国は7人役を供出するようと命じる。
出典:小瀬甫庵『太閤記』巻第12「来春関東陣御軍役之事」
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